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ものの弾みでなるかな

親父様が入院した。体調が優れないとのこと。

三週間ほどの入院生活とのこと。大阪まで見舞いに行きたかったが大学病院がコロナの事もあるので遠方からの見舞いは遠慮願いたいとのこと。代わりというほどではないがメールを時々するよという事に落ち着いた。親父様はガラホでラインが出来るようになったと同日。何故か僕の事をブロック削除してしまいラインの仕方が解らないからとメール。ブロックするまでは誤操作だが削除までされてしまった。

そういえば親父様に連絡を余りにもしてこなかった。自分を人でなしだなと思った。

いくつになっても親子というか息子は息子なのだろうか。東京のコロナの状況をずっと深刻だったようで大丈夫かとのこと。仲間うちでも知る限りはコロナになった人もいないでとメール。その返信。

「今東京でキャバクラとホストクラブいったらあかん」

「両方いったことないよ」

「ものの弾みで歌舞伎町のホストになったらあかんでな」

ホストというのはものの弾みでなるのだと知る。

「しゅう。デジタルビデオディスクやないねんで。デジタルバーサタイルディスクやで」

親父様はもう退職しているが技術者というか開発者をしていた。大手電気メーカー。DVDを世界で最初に作ったチームの一人で、本当かは定かでないんだけれどもDVDディスクにレーザーを当てて映像を射影するためのレンズを作ったらしい。レンズを。親父様がいないとDVDは完成しなかったかもしれないくらいのことだと、子供の頃に親父様の同僚のおじさんに聞いた。

なんか社長賞で二万貰ったからゲーム買いにいこうと誘われた。子供ながらにやるやんさっすがーと思ったし言った。

なんだかわからないが東南アジアの工場に何かしらの技術を伝えに行っていた時期がある。写真の中で東南アジアの皆様に囲まれる親父が観たことのないダブルピースをしていた。

試作機ということなのか、我が家にはめちゃくちゃ早い段階でDVDデッキが家にあった。セガサターンとかプレステ1ぐらいの時か。

「しゅう。デジタルビデオディスクやないねんで。デジタルバーサタイルディスクやで」といつも言っていたのを覚えているけど教えるべきポイントはそこではないと思うんよね。でも、なんだか誇らしく思っていたのか友達にデジタルビデオディスクではなく、デジタルバーサタイルディスクなんやでと教えていた。

更に大手のメーカーに就職することも出来たらしいが「アッチの会社は戦争の兵器作ってるみたいやからお父さんは嫌やねん」と言っていた。

朝から晩まで働いた。両親は本当か定かではないが駆け落ち同然に結婚したらしい。高校の同級生同士。ドラマチックだと思うし、子供の頃の僕は自分も同級生の女の子と結婚するんかぁと思っていた。まだ結果は出ていないのでわかり次第報告する。

話がそれた。子供の頃の印象は親父様の不思議な人というイメージ。朝六時半に家を出てスポーティーなバイク(鈴鹿サーキットとかで乗りそうなガチガチのバイク)で会社に向かう。日付が変わるかどうかくらいに帰ってくる。バイクのエンジン音で帰宅をいつも知る。そしてソコから朝までRPGを淡々とクリアしていく。そしてまた朝六時半には颯爽も会社に行く。子供達よりRPGを先にクリアして「まぁまぁやな」と言う感想をくれる。土日は寝てる。

親父様は僕のお食い初めの日にバイクでウッカリ遊びに行ってしまったらしく、いまだに母親様にことある毎に印籠、これが目に入らぬかされている。

わりと遊びに連れてってもらった思い出もある。今は無き神戸ポートピアランドにいってゴーカート対決をした様な記憶があるけれどあってるかな。

親父様が倒れたのは八年前だろうか。

僕は今以上に売れない芸人を大阪の難波でしていた。今捕まったら自称芸人でしかないフリーターだなぁとおもっていた。

脳梗塞。麻痺が残った。働きすぎた疲れもあった。

病院に駆けつけた僕は「あー。親父。終わった」と思った。管だらけ。素人目にも今まで通りの生活は難しいことを感じた。とりあえず笑わしたいと思って麻痺が残った左手を握って「トイレ行ってから手を洗ってへんねん」といったらニヤッと親父様は笑った。

「大丈夫や。明日にはな。会社に行くから。」麻痺の残る唇はそんなことを言おうとしている。僕は「もう少し休んでええんちゃうかぁ」とだけ言った。

「お父さんのせいで芸人辞めるのはずるい。辞める時は自分のせいで辞めろ」

そんな流れでまんまと芸人辞めた方がいいのではと悩みだした。親父様が倒れた理由のひとつはフラフラしている自分のせいでもあると想いたかった。背負いたかった。理不尽だとおもったから理由が欲しかった。少し前に書いた単独を初めてやる時期がそのあたり。

「お父さんのせいで芸人辞めるのはずるい。辞める時は自分のせいで辞めろ」と親父様から当時メールが来たのを覚えている。

それから八年。親父様はそんなカッコいい発言を忘れて息子がホストにものの弾みでならないか心配しながらでもメール出来るまでに回復した。少しでも暇潰しになるようにメールをしようと思う。

人のために働いて働いて倒れても子供の心配を出来るような父親に僕もいつかなれるだろうか。わりと高い壁である。