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ブルーアーカイブに触れたきっかけ 「謎に包まれたもの」を喜ぶ人 (4thPV編)

 今年に入ってリリース2周年を迎えたスマホ向けソーシャルゲーム『ブルーアーカイブ』を始めました。2周年記念のイベントの影響で新規ユーザーの参入も多く、かく言う僕も2周年がきっかけでプレイし始めた一人です。
 今回は僕がブルーアーカイブを始めるきっかけとなったものを中心に書きました。ネタバレは無いと思うので未プレイの人の参考にもなればと思います。

 ゲームの説明を雑に省いたところで本題に入りましょう。
 これはプレイする前、ブルーアーカイブという作品は知っていたものの詳細については全くの未知で、そのビジュアルを一目見た時の最初の疑問です。

「この天使の輪っかみたいなのは何?」

 
 このゲームをプレイしていなくとも、街中の広告やツイッター等SNSで流れるファンアートでブルーアーカイブのキャラクターをイラストを見かけたことがありました。
 一見普通の少女なのですが、このゲームで登場する少女全員の頭の上には天使の輪のようなものがふよふよと浮いているのです。しかも生徒ごとに形やデザインが違う様子。

 舞台設定が天界とか天使の国のお話とかならまだ分かりますが、どうやら学園とミリタリーの世界らしく謎が深まるばかり。
 早速初期のころからプレイしている友人に聞いてみました。

僕「この輪っか何なん?」
友「いやー、細かい事は分からん」
僕「……エアプ?」
友「そうじゃなくて、詳細な設定は明かされてないんだって」
僕「ほう……?」

 このゲームで一番目を引くといっても過言ではないこのヘイローについて、未だに謎の存在とされているらしいのです。
 分かっている事としては、このヘイローはキャラクターの意識がある場合のみ現れるもので、ヘイローを破壊する事=殺害すること、といった意味で示唆される存在だという事。少女キャラクター達である「生徒」以外の市民はヘイローを保持しておらず、そもそも生徒以外の市民などは人間の形をしていません。


寝ている時にはヘイローが無い (公式アニメPV冒頭より)

 正直、驚きました。このゲームから発信されるキャラクターのトレードマークともいえる物が未だに正体不明の付属物、という状態なのは珍しい事なのではないでしょうか。
 例えば『艦これ』のキャラクターの武器換装や、『ウマ娘』の勝負服やウマ耳については世界設定として理屈のある説明がされています。フィクションなので細かいことを追及していくと女の子に艦隊の装備をつけて戦うのはまあまあおかしい事なんですが、「そういうもの」として納得ができるはずです。しかしブルーアーカイブにおいてこのヘイローは、「そういうもの」として消化するには説明が足りません。リリースから2年経った今でも明確に正体が判明していない「謎に包まれたもの」なのです。



「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきている。」

 これはNHKで放映された「さようなら全てのエヴァンゲリオン ~庵野秀明の1214日~」の中で庵野氏がNHKの取材に応じた理由として、"商売目的"と冗談交じりに答えつつ、「面白いですよ、ということを宣伝しないと客は見てくれない」という時代の流れを俯瞰して呟いた言葉でした。

 膨大な数のコンテンツが物凄いスピードで消化されていく時代で、面白いのか面白くないのかが提示されていないコンテンツは関心を引きづらい物になっていく傾向にあります。何か新しいコンテンツに触れる際、口コミやレビューを確認するのが当たり前になってはいないでしょうか。また、SNSが普及した影響で物の流行り方にも変化が起こり、話題性のあるものでないと手を取ってもらえない事の方が多くなっているのではないかと思います。本屋や家電量販店など、一覧性のある状態で自分が体験したいものを手に取るというコンテンツの触れ方をしている人は少なくなっている印象です。特に育成や盆栽要素の強いソーシャルゲームにおいては浪費する時間が多いため、他人の意見無しでそれが本当に面白いかどうか分からない物に自分の時間を投資する判断をするのは中々難しい時代なのでしょう。
 
 ではブルーアーカイブはどうでしょうか。プレイする前の人間としては、謎に包まれたものというよりは胸や尻に包まれたものという印象の方が強かったかもしれません。実際には上記のヘイローに留まらず物語上で数多くの謎を残しているコンテンツなのですが、触れていない人に届く情報としてはオタクコンテンツならではの「えっちさ」「可愛さ」「ネタのミーム」要素の方が多い印象です。事実、そこそこえっちだしネタに発展する要素が多いのですが、そもそも謎の部分がネタバレな上、完全に解明されていないため発信するのが難しいのかもしれません。
 しかしこの「えっちさ」「可愛さ」「ネタのミーム」要素がある時点で手に取るという人は決して少なくはないと思います。今の時代では"よくある"ゲームの要素を満たしているので、まず体験してめちゃくちゃつまらない事はないだろうという一定の品質を認める要素として効果があるのでしょう。

 ですが、僕はその要素のみではこのゲームをプレイしようとするきっかけにはなりませんでした。膨大なコンテンツが発信される今の時代で「えっちさ」「可愛さ」「ネタのミーム」という要素を満たしているコンテンツは勿論多数あり、ブルーアーカイブでなければならない理由が特にありませんでした。
 自分はどちらかというと謎に包まれたものに対してとても喜ぶタイプのオタクなのです。冒頭で紹介した庵野秀明による『新世紀エヴァンゲリオン』なんかは特に代表的で、自分だけに限らず多くの人が謎に対しての考察に時間を費やした作品です。考察という1つのコンテンツに向き合う時間を多く費やす行為は、今の時代ではコスパの悪い事なのかもしれません。ですが、その費やした時間の分だけ自分がその世界の奥深くにまで浸かるような感覚は他には代えがたいものです。
 しかしどうでしょう。この『エヴァ』にだって「えっちさ」「可愛さ」「ネタのミーム」要素はあります。最初に触れようと思ったきっかけにはアスカのビジュアルやレイの声、印象的なセリフミームなどがあったはずです。僕はリアルタイム世代ではないので、既にエヴァが設定や世界観で謎に包まれたものであることは事前から知っていました。ですが、その前情報だけではエヴァに触れようと思い立つ燃料としては足りなかったのです。
 自分を本編を体験する前に謎に包まれたものへの興味を引き出した物。それは旧劇場版の予告映像でした。
 

「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」予告編  1997年 (転載)

 謎に包まれたもの、というより謎そのものしか残らない映像ですね。「これがエヴァです」とエヴァを知らない人に見せるには不適切な映像かも知れません。しかし自分にとってはかなり衝撃で、見終わった瞬間には、映像を見ていた間の記憶が朧げになるような、まるで情報の塊が頭を通過していったかのような感覚を覚えました。エヴァという作品をこれから自分が体験し、謎を理解するに至ったら、もしかしたらこの予告映像の意味が分かるのではないかというワクワク感に震えたのです。
 
 実は、ブルーアーカイブに触れようと思った決め手となったもののも5分に満たない1本の映像でした。


映像から見る「謎に包まれたもの」

 これはリアルイベント「ブルアカらいぶ!せかんどあにばSP!」で初公開された物だそうです。
 2分26秒という短めな時間の映像でオタク1人がゲームをインストールさせるに至った、という事実を見るととてもコスパが良い宣伝映像であったのではないかと思います。
 当然、実際に万人が万人この映像だけを見て「じゃあプレイしよう」とはなりません。先ほど取り上げたエヴァ劇場版の予告映像と同様、ブルーアーカイブがどういうコンテンツなのかは殆ど説明がされない映像になっています。(エヴァは少しやりすぎですが)
 しかしながら、既にプレイしているユーザーには断片的に提示される膨大な情報に衝撃を受け、全くこのゲームの知識がない人間が見ても断片的な情報と、音楽に合わせたセカイ系を思わせるビジュアルにどこか魅力を感じてしまう映像となっています。

 このPVは膨大な量のスチル(一枚絵)のフラッシュカットの『動』パートと、連邦生徒会長の独白と共にテキスト演出が入る『静』パート、二種類で構成された映像になっています。

 『動』パートのフラッシュカットと聞いて一番最初に連想するのはやはり「新世紀エヴァンゲリオン」のオープニング映像でしょうか。この技法は、臨場感や緊張感を出すのに有効とされています。
「なにやら大変な事件に対してキャラクター達が奮闘している」ということしか分かりません。それぞれ一時停止して確認したいという欲を出させる程の情報量を持った一枚絵を連続させることによって、頭で整理が追いつかない状態を維持したまま『静』のパートへと繋ぎます。

 『静』のパートでは、時系列でいうと『動』のパートで躍動する場面よりも過去の出来事と思われる場面が何者かのセリフを挟みつつ切り替わりながら流れていきます。今までブルアカをプレイしてきた人なら、どうやらメインストーリーvol.1~4の出来事だと気が付くはず(正確には記憶と異なる展開でする)。映像を見ている人に今までの物語がフラッシュバックするような印象を与え、隙間に挿入されるセリフの意味を咀嚼する間も与えぬまま、映像は時系列を前半の出来事の続きと思われるカットが入り『動』のパートへ戻っていきます。

 この『静』と『動』の使い分けは映画の予告編やアニメーションでも意識されている事だそうです。そもそも映画の予告編というのは全く知識がない作品でも興味を引き付けられるものが多いのですが、おそらくそれは予告映像とは別の映画を見に来た観客に対して、少しでも興味を持ってもらいたいという意図のもとに本編の良いカットが凝縮されて作られた宣伝映像だからでしょう。実はこのPVも「メインストーリー最終編」の予告編映像として作られていました。


 僕がこの予告編に始まる短い映像群に魅力を感じるようになった理由の一つに『静止画MAD』という文化に触れてきた過去があります。 

 静止画MADとはインターネット上で公開されるMAD動画の一種で、公式とは全く関係のないファンが、言ってしまえば自分勝手に作る映像作品のことです。アンダーグラウンド的な文化の一つで、著作権的な視点で言えば黒寄りのグレーという道を辿ってきたこの文化からは、今や映像分野やLive2D分野で活躍する多くの人が生まれています。厳密には静止画だけではなく一部動画素材を用いている場合もあり、最近では編集技術の向上で3D演出やアニメーション効果で全く静止していない作品も出てきています。

 元々は作品とは無関係の曲と差し替えた所謂"偽OP"から始まったとされ、元の作品を知らない人でも関心を持てるように印象的なシーンを抜粋したものや、作品のストーリーを分解、再構成して自分の解釈を表現するものなど多岐に広がっていきました。


乃怒亞女氏「ConcLude:Another Style Abyss-infinite rhyme」2001年(転載)
原作とは別の独自解釈で再構成する表現の元祖ともいえる映像作品。

カプチ氏「LiSTEn To TiME AgAin」2005年(転載)
音楽ゲームのトランス楽曲によってSF風な世界観を演出。BPMと映像の同期による一体感はブルアカ4thPVにも見られる表現。

軍魔氏「快速特急 瞬間のシネマ号 」2009年
作者自身が制作した静止画MAD作品の総集編。カット割りの多いMAD作品を更にカット編集した映像をアップテンポな楽曲で駆け抜ける。知識のない作品のワンカットにも目を引き付けられる。



 映画の予告映像は作られた意図として宣伝目的というのが大部分を占めていますが、実際は予告映像と静止画MAD、どちらも作品の布教・世界観の表現が主の意図です。異なる点とすれば映像を制作するのが発信側なのか受け手側なのかというところでしょうか。(※予告編は監督の意図と違う意図を持った人が制作する場合もある) 
 静止画MADの面白い所は、映像制作者が独自の解釈をその映像へ落とし込むというところです。原作を体験した人=包まれた謎を知った人でも、映像制作者の解釈という新しい謎を楽しむことができるのです。
 
 原作(元ネタ)を体験していない人は映像を通じて原作の謎を知り、その映像に魅かれて原作を体験した後に再度映像を見た時、今度はその中にある新たな謎を発見する。そんな何度でも謎に包まれたものを楽しめるという事を知っているからこそ、予告編や静止画MADなどの短い映像表現に魅力を感じているのかもしれません。


終わりに

 謎に包まれたもの、分からないものを分かろうとさせる起爆剤として映像というものを挙げました。僕もオタクになった当初から「謎に包まれたもの」が好きだったわけではありません。実際にブルーアーカイブをプレイし、メインストーリー最終章を読み終えた今でも4thPVを見るとワクワクする事のように、分からないことが分かるようになった時、初めてそのコンテンツの世界と同化できるかのような、あの感覚を経験したからこそ「謎に包まれたもの」への渇望があるのかもしれません。
 膨大な数のコンテンツが発信される今の時代で、「謎に包まれたもの」の魅力を見つけるには映像が一つの鍵です。静止画MADや予告編に限らず、Youtubeのオススメ動画や街頭広告など、ふとした時に気になった映像は1分でも良いので見てみましょう。時間を更に投資すべきかどうかの判断材料としてはとてもコスパが良いのではないでしょうか。

 さて、「僕はブルーアーカイブは4thPVを見て始めました。布教にはこのPVがおすすめです。」という内容を膨らませた結果、まあまあの文章量になりました。
 ブルーアーカイブにはまだまだ世界の根幹にも影響するような謎がいくつも残っています。結局ヘイローの事は謎のままですし。これらを他のユーザーとリアルタイムで追いかけることができるのがソーシャルゲームの魅力かもしれません。ヘイローや世界観に関して自分の中で立てた予想もあるのですが、note上でも似たような予想を立てている人がいるのでもし真相に近かったら嬉しいですね。自分の言葉でまとめることができたら投稿もしてみたいと思っています。



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