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自己評価と他己評価のねじれについて思うこと

最近、あたらしいお仕事がいくつか動き始めている。

はじめは「話を聞くよ、できることがあればサポートするよ」くらいの気持ちだったのだけど、あれよあれよと?しっかりコミットすることになった。たのしみ。

じつはこうしたあたらしい仕事を進めるなかで、「自分が認識している強みと相手が感じている強みは少し違うんだな」と感じることが何回もあった。別々の人からほぼ同時に「へえ、そこ・・・・なんだ!?」と意外なポイントを評価いただいたり。
その方々がわたしと仕事をしたいと思ってくれた能力は、わたしにとって「武器になる」なんて意識したこともない部分だったから、ちょっとびっくりした。

ちなみにそのあと、恥をしのんで「わたしのこういうところって『すごい』の?」と周りに聞いてみると、「そうだよ!」と言われ、自分のことってこんなにもわからないものかと衝撃を受けた次第である。

そういえば。1ヶ月ほど前にストレングスファインダーを受けたときも、想像していた結果とはえらい違った。「最上志向」はともかく、「コミュニケーション」「個別化」と続く。

「(もっとひとり仕事に向いてる職人的な結果が出ると思ったのに)対人とかチームに寄ってるなあ」

とボヤくと、社長の古賀さんから「うん、田中さんってチームにひとりいたらすごくいいだろうなあと思うよ」と言われた。・・・・嗚呼、自己認識能力!

この件から、「逆に自分が強みだと思っていたところってたいしてスゴくないかも・・・・?」とビビっているのだけど、まあ、いまそれで仕事ができているわけだから、たぶん大丈夫だと思う(たぶん!)。

でも、自分の知らなかった「強みらしきもの」を知れたのは、大きな収穫。ちょっとほくほくしている。

だって、自分の「人より得意なこと」をちゃんと知っていれば、だれかが困っているとき、その力を差し出すことができるから。「だれか助けてー!」に「はいはい!」と手を挙げることもできるし、自分からもよりたくさんの案件に飛び込んでいける。自分が持っているものを把握していなければ、いくらそれがすてきな力でも、差し出すことはできないのだ。
(あっ、これは決して偽善的な発想じゃなくて、人の役に立つことで社会に存在したい、みたいなきわめて利己的な欲求です)

「わたしはこれができます!」と声高に主張するためじゃなく。欠けているピースを埋める存在になるために、自分のフットワークを軽くするために。「意外な他己評価」は大事にストックしておきたいな、と思う。

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