台風の夜、娘の名前
夕食が終わり、風も強まり窓がガタガタ鳴り始めたころ、寝室で寝ている娘が「ひゃー」と泣いた。夜泣きかな、と見に行った夫が血相を変えてリビングに戻ってきた、「吐いてる!」。
娘人生初の嘔吐に、わたしもマンガのようにガタッと立ち上がる。広くもない家を小走りで寝室に向かうと、夕食の納豆ごはんが、ほぼそのままの姿でこんもりとシーツにこぼれていた。娘はうつぶせから上半身を起こした体勢で、「ひーん」と泣いている。
ああ、うつぶせ寝でよかった! そう思いながら娘の名前を呼び、抱き抱え、様子を観察する、顔色は悪くないし落ち着いている。とりあえず大丈夫そうだなと夫に託してシーツを片付け、ベッドメイキングしてリビングに戻ると、夫の肩ですーっと眠りについていた。
原因は心当たりがあった。食べ過ぎだ。大食漢ながら体重が増えない娘に、かかりつけ医からさらにごはんを増やすよう言われ、おそらく小食な幼稚園生よりも多いくらいの量を食べはじめたから。しかも今夜は、いつもよりお米がかためだった。小さく未熟な身体では消化しきれなかったんだろう。
とはいえ、これはあくまで素人判断。夜が明けたら病院へ行こう。
でも……それまでの間にまた嘔吐して、そのときたまたま仰向けで寝ていて、窒息してしまったら? 怖い、怖い、怖くて3分ごとにアラームをつけて寝室を見に行く。隣で寝ても落ち着かない。風もどんどん強くなっている。眠い、けれど心配と風の音で眠れない。
と、しばらくして小さく「ごぼぉ」と音が聞こえた。もう、明らかに吐いた音! 慌てて抱っこするとわたしの肩にも「ごぼぉ」と吐いた、繰り返し。名前を呼ぶ。何度も名前を呼んだ。
きっと子育てを3、4年もしたら慣れっこになるのだろうけれど、はじめての嘔吐にドキドキが止まらなかった。
しばらくすると嘔吐も落ち着き、わたしも落ち着き、髪も服も汚れていたのでシャワーを浴びた。雨が窓ガラスにたたきつける音を聴きながら「洗車機の中みたい」と思いつつ服を着せる。娘が少しでもぼーっとした表情を見せると怖くて、名前を呼んで目を合わせた(いま思えば、夜中で眠かったんだろうけど)。
洗車機のような轟音を子守歌に眠りについた娘の髪をなでながら、このアクシデント中だけで何十回も呼んだ「名前」ってすごいなと思った。
生まれてきたときは無名の子だったのに、しかもなかなか決まらず出生届も出せなかったのに、いまはこの名前しかありえなくなっている。はじめは名前と存在に少し距離があったのに、いまは完全一致というか、頭に浮かんだほかの名前を呼んでみても顔や雰囲気にしっくりこない。最高に似合う名前だと思っている。
そういえば新卒で入社した会社で、ふと上司や部員の「下の名前」の存在に気づいた瞬間があった。
「どんな願いや思いを込めて名付けられたんだろう、この人が生まれたときめちゃめちゃ喜んで、一生懸命育てた人がいるんだなー」
と思ったら、目の前の上司や部員が突然、とても大事な人に思えて(わたしにとって大切というわけじゃなくて、存在が大事という感じ)。たくさん名前を呼ばれてこの人は大人になったんだ、としみじみしたのだ。
娘はこの人生の間中、ずっとこの名前で呼ばれ続ける。そして人生の途中までは、わたしたち親がいちばん多く呼ぶことになるだろう。ただ呼びかけたり、冗談を言ったり、叱ったり、心配したり。娘の知らないところで話題に出したり。
これから何度この名前を呼ぶんだろうね?
夫になんとなく問いかけると「1日30回として……」と計算しはじめて、そういうことじゃない、と思ったけれど、そういう夫なのだ。
うん、家族っておもしろいな。
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