見出し画像

あなたの歳を数えながら

この文章は、保護犬・保護猫 Welcome Family Campaignとnoteで開催する「#うちの保護いぬ保護ねこ」の参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

盛夏に迎えた娘の誕生日。熱烈リクエストしたチョコレートケーキに立てた5本のろうそく、その先っぽで揺れる火を勢いよく吹き消す。

0、1、2、3、4、5。かたちの定まらないあたまに髪の毛をぺっとり貼りつけた新生児から、きらきらした目でけらけら笑う「女の子」まで。1歳ずつアルバムをめくり、この5年間、街のおばあさんたちに幾度となく投げかけられてきた「いまがいちばんかわいいときね」ということばを思い出す。

彼女たちの「いちばん」を寄せ集めると「いちばん」は本来の意味を失ってしまうけれど、ことばの定義より事実が勝ることもある。0からはじまった数字をひとつずつ積み重ねるごとに、たしかに、「かわいい」は最高値を更新してきた。

ふと、顔をほころばせてケーキを食べる娘の足元でじっと待機している愛くるしい存在が目に入る。次々に口に消えていくケーキを見上げる、つやつやに煮た黒豆のような目。

——ああ、そういえば、このコも。

成長をよろこび、仕草に悶える、手のかかるちいさきものたち。「かわいい」を更新していくものたち。けれど我が家の小柄な柴犬テンコには、娘と決定的にちがうところがある。人間かいぬか、という話ではない。

わたしは、大切な家族の一員であるテンコの、ほんとうの年を知らない。


わたしはテンコの、たぶん2番目の家族だ。彼女はかつて人間と暮らし、捨てられ(あるいは迷子になり)、保護団体に救われ、また人間と暮らす運命を辿っていまここにいる。だから散歩中「あらあ、ちいさくてかわいい。何歳ですか?」と声をかけられることは多いけれど、わたしの答えは数字ではなく「説明」になる。

「保護犬だからわからないんです。2014年に3歳から6歳って言われてうちにきたので、だいたい……」

保護犬のなかでも彼女は野良出身ではなく、あきらかに「人と暮らしていたいぬ」だった。ちゃぶ台にごはんが乗っていても「パクリ」とするようなお行儀の悪いことはしない。床に座れば、わたしの太ももにあごを乗せる愛想のよさを持つ。だっこすれば、すっと身体を委ねる。それは、「きちんと愛された経験を持つもの」の振る舞いだった。

……なんて書くと難なく彼女との生活がはじまったかのようだけれど、決してそうではない。「3歳から6歳」の彼女との暮らしはじめは、平穏とはいかなかった。

テンコは、うんと怖がりだった。ゴミ袋のガサガサ、掃除機のモーター音、商店街のにぎやかさ。清掃員など“つなぎ”を着た男性、自分より強そうな犬、人間の急な動き、ケージに入ること。

ありとあらゆるものに怯え、気持ちを乱す。ときにパニックになる。暴れ、甲高い声で叫ぶ。それが一晩中つづいたこともあった。我が家に来て間もないころ、届かない「大丈夫だよ」の声をかけながら、わたしも静かに混乱していた。

どうしよう。どうすれば、落ち着かせてあげられる?

そして考えても仕方ないと思いつつ、「子犬時代を共にしていないこと」が悔しかった。もし0歳から一緒だったら、「安定したきもち」を育んであげられたかもしれないのに。「赤ちゃんから育てられないこと」は保護犬を迎えるにあたって考え尽くしたつもりだったけれど、実際苦しそうな彼女を目の当たりにすると、さくりと割り切れるものではなかった。

じつは当時、散歩中に「何歳ですか?」と聞かれるのが少しイヤだった。わたしが「説明」することで「やっぱり保護犬は……」と思われるんじゃないかという不安。なにより、「3〜6歳」という数字を口にすることで(人間だとおよそ「21〜42歳」だ)、彼女についてよく知らないという事実を突きつけられる気がしたのだ。

そんなふうに真剣を通り越してやや「深刻」に片足を突っ込んでいたわたしとは対照的に、犬どころかペット全般飼ったことのない夫(実家にニワトリはいたらしい)はのんびりしたものだった。ある日、「びっくりするくらい愛情が湧くもんだね」とテンコを撫でつつ、こんなことを言った。

「落ち着かないのは仕方ないよ。突然まったく知らないところに養子に出されるとか、たらい回しにされるとか、おれだってこわいし」

ええっ、そういう話? 首をかしげつつ、でもなんだかその言葉が腑に落ちた。彼女はほんの数カ月の間に、元飼い主の家、放浪、愛護センター、預かりボランティア(次の飼い主が見つかるまでお世話する方)さん宅、さらには我々の前に譲渡希望を出した家庭を転々としてきた。さっぱり意味もわからずに。そのたびに名前を変えて。

……ああ、たしかに、それは不安だよなあ。

単純ながら妙にさっぱりしたわたしは、「でん」と構えることに決めた。彼女がおどおどするのがバカらしくなるくらいに。同時に、できることは全部やってみることにもした。相性のいいトレーナーをさがし回り、セミナーを受け、生活や部屋のレイアウトを変え、公園や「オフ会」に出向いてほかの犬と交流した。あれやこれやとテンコとトライするのはおもしろく、ときどきうまくいかなくて落ち込んだりしながらも、共に過ごす時間を重ねていった。

あれから、8年。

わたしたちはすっかり、「でん」と過ごしている。もうトレーナーさんのお世話にはなっていないし、部屋もテンコ仕様にはなっていない。彼女はあいかわらず繊細ではあるけれど、たくさんのものを克服した。いまや娘がソファから飛び降りようと、ルンバが徘徊しようと、かまわず床の途中で焼き餅のように伸びている。

いつからこんなふうになったんだろう。振り返ってみても「このとき」は見つからない。いろいろな工夫が実を結んだのかもしれない、けれど……きっと、「すこしずつ」だ。だんだん家族になるにつれ、だんだん大丈夫になってきた。わたしたちも「これがテンコだもんねえ」と受け止め、ケアしつつも問題にはしなくなった。それは、とても家族らしいあり方だと思う。

テンコがどう思っているかはわからない。でも、わたしにはひとつだけ胸を張って言えることがある。

0からカウントできなかったことを、明確な年齢がわからないことを、いまちっとも悔しく思っていないということだ。「9歳くらい、10歳くらい、11歳くらい」と数字を重ねられるうれしさでじゅうぶんだ。そして「保護犬だから……」からはじまる「説明」を口にするとき、ちょっぴり誇らしさすら感じている。こんなにすずしい顔してるけど、がんばったんですよ、このコ。


「テンちゃん、だめだよ!」

娘の怒った声にはっとすると、テンコがわたしの腕の間に顔をつっこみ、チョコレートケーキを狙っていた。いつからか彼女は、テーブルの上にある食べ物を「パクリ」としたそうに椅子に手をかけるようになった。はじめてその仕草を見たとき、図々しくなったなあと頬がゆるんだことを覚えている。ほんとうはダメなんだけども。

「大丈夫、あげないよ」と笑いながらわたしもケーキを口に運ぶ。「もう!」と小鼻をふくらませる娘。うらめしそうでもなく、「やっぱりダメか」とさっぱりした表情のテンコ。今日も彼女たちは、それぞれ愛おしい。

これから、「かわいい」がどれだけ更新されるのだろうか。味わうように、あなたたちの歳を数えていきたいと思う。

画像1


サポートありがとうございます。いただいたサポートは、よいよいコンテンツをつくるため人間を磨くなにかに使わせていただきます……!