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『介護と働く』 #13:おっさんこそ、笑え

パンデミックに加えて、父が重度の非介護者となり、自由はほとんどなくなった。そんな私の運命を、半ば恨んでもみた。しかし最近は、その不運の中にある小さな幸運を見いだしつつある。さて、父の横で、その幸運を綴ろうと思う。


残された表情が笑顔でよかった

父は、脳梗塞によって、身体のほとんどを動かすことができない。もちろん、顔も例外ではない。イライラしても、哀しくても、それを表情にできない。

しかし、意識的には表情をつくれないものの、反射的に、衝動として、2つの表情だけ表れる。

それは、「悶える」と「笑う」である。

前者は、たとえば、唾液や痰がのどに詰まって、咳を催すときに付随して表れる。いわば、「苦しすぎてやばいよ、助けて」ということを私たちに伝えてくれる命綱のような表情だ。

後者は、(おそらく)喜びや楽しいときに、突然表れる。
たとえば、孫がお道化を演じるとき、😊(微笑む表情)を見せる。
また、私たち家族が父にちょっかいを出したり、笑い話をしたとき、🤣(吹き出す表情)を見せる。
あいにく愛想笑いはできないので、相当ツボに入らない限り、その表情を見ることができない。多くはスベった空気になって、寂しくなる。だから毎日、父にどんなことを言ったら笑うだろうか、と頑張るわけである。

「悶える」のような身体的な苦痛や、思うように行動できない精神的な苦痛を多大に感じているであろう父が笑って、その瞬間喜びや楽しさを感じている。

私たちは、その笑顔にほっとするし、この上ない喜びを感じるのだ。父に残された表情が笑顔でほんとよかった。


感情感染

この出来事を整理すると、父が喜びや楽しさを感じ、その表れとして笑うことで、その場にいる私たち家族も喜びや楽しさを感じている、というわけである。

つまり、笑うことは、本人の外部の出来事への単なる反応ではなく、その場にいる人々の感情も揺さぶる、と言えそうだ。

母も私も、その場の空気(雰囲気)に感情が影響されやすい。だからこそ、楽しく介護を続けるうえで、父に「笑う」といったポジティブな表情が多く飛び出すことは、とても大切なことなのである。

一方で、こういった表情の感染は「笑う」に限ったことではない。その場に、😒(不機嫌な表情)の人がいれば、周囲の人もなんだかイラついたり批判的になってしまうし、😐(無関心な表情)の人がいれば、その場にいることすらつまらなくなってしまう。

他人の表情からその意図を読み、共感する脳の特性(ミラーニューロン)を持つ人間としても、その場の空気を重視して言動する特性(ハイコンテクストカルチャー)を持つ日本人としても、こういった表情による感情の感染には注意したい。

感情感染しやすい私たちなのだから、どうせなら、ポジティブな感情が拡がったほうが幸せだ。


「よい笑顔」と「わるい笑顔」

とはいえ、笑顔が万能かといわれると、そんなことはないと思う。

私の場合、笑顔に関する思い出は、よいものばかりではないからだ。
その代表格は「へらへらするな」というお叱りである。昔から、家庭でも部活でもそう言われてきた。
これは私の弱い性格が関係しているのだろう。張り詰めた空気や喧嘩腰の空気に耐えられず、笑っていれば空気が和むと勘違いしていたからだ。

今考えると、これはなかなかに「わるい笑顔」だ。
なぜなら、この笑顔は、自分が傷つきたくない、という理由で使っているから。つまり、自分のためだけの笑顔であり、相手の気持ちは一切無視なのだ。だから、周囲のネガティブな感情を余計に逆撫でする。

こういった「わるい笑顔」はそこらじゅうに転がっている。相手を見下してでる笑顔。自慢で悦に浸ってでる笑顔。全て自分のための笑顔である。

では、逆に「よい笑顔」とはなんだろうか。
様々あるだろうが、そのひとつは、相手との心的距離を近づける笑顔だと思う。

たとえば、欧米を旅したときなどによく出くわす、街なかの微笑みだ。通りすがりやカフェで見知らぬ市民から送られるあれである。(危険な人でないか確かめる用途とも言われるが)
私事ではあるが、ロンドンに行った際、恥ずかしながら脚を怪我してしまい、ガンダムみたいなギブスを装着しながら街を歩いていた。すると、通りすがりのイケメンロンドナーに「強そう、かっこいい!」と笑顔で挨拶された。正直、戸惑ったが、「ロンドンまできて何してるんだろう」と意気消沈していたときに遭遇したその揶揄いに、なぜだかウェルカムされた気分になったのである。

優しい笑顔が、「この場へようこそ」と伝えてくれているように感じる。
それまで、お客様あるいは部外者だったのが、その笑顔によって、その人のプライベートな領域に、一歩導かれたかのような感覚。

つまり、相手を受け入れ、包み込む笑顔。そういった他者に心が向いたものが「よい笑顔」なのではないだろうか。

ちなみに、笑顔で顧客に接するほど、顧客もポジティブな感情を持ち、その組織のサービスの満足度も高まる、とする研究もある。つまり、こと働くに関していえば、笑顔は、その場に居合わせた人だけでなく、組織も幸せにすると考えられる。


オフィスにポジティブな空気を満たすために

オフィスでの笑顔も同様だ。新たに組織やチームに仲間を迎えたときに、優しい笑顔は「あなたは、ここにいてよいのだ」という居心地のよさをその人に届ける。

しかし、こんなことを言っておいてなんだが、私は偉そうに言えない立場である。なぜなら、職場で仕事をするその姿はお世辞にも友好的とは言えないからだ。むしろ無愛想極まりない(意図的にそうしてるわけではないのだが…)。一緒に仕事をしたり、飲みに行くと、だいぶ印象が変わると言われるほどだ。


だから、自分自身に言い聞かせるようにこれを書いている。残念ながら、私ももう若者ではない。若者や新参者が、心地よい居場所と感じるためにも、ベテランこそ笑うことを大切にしなければ。



何はともあれ、父に笑う力を残してくれて、ありがとう。
その笑顔が、介護の場に心地よさを与えてくれているよ。


おわり

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