趣味は読書

 床の上に散乱している本の山から、適当に 1 冊抜き出す。小口に両手の親指をかけて、おもむろに適当なページを開く。視線を少し下向きにずらし、何ページなのかに目を向けて、その本の中盤から少し前あたりであることを確認する。そして軽く息を吐いて。

 読み始める。

 すぐに夢中になる。初読の本である。ここまでのあらすじは知らない。そもそもどういう内容の本であるのかすら知らない。タイトルも作者も確認してはいない。柱で章のタイトルを確認することはできるが、それもしない。

 ただ、読む。楽しい。没頭する。物語のなかに。文章のなかに。文字のなかに。インクのなかに。見て、触れて、頭のなかに入れて、その感覚を、その瞬間を、楽しむ。

 残されている時間はそうはない。すぐにアラームが鳴り、読書という楽しみの時間が終わってしまうことは知っている。そういうことはどうでもいい。ただ、読むということ、文章を味わうということ、文字を追うということ、インクのにおいをかぐということ、その行為の瞬間が、何よりの楽しみなのだ。

 ほんの短い自由の時間なのだと知っているからこそ、余計に。

 アラームが鳴っているのが聞こえる。物語は中盤のクライマックスを迎え、登場人物が大きな選択をすることについて迷っているちょうどその最中だ。けれども、本を閉じるのを迷うことはしない。読み終えた(あるいは読み終えていない)本を床の上に適当に投げ出し、今日の読書は終了だ。もう戻らねばならない。

 いつもの道を歩きながら、先ほどまで読んでいた文字を一言一句頭のなかで繰り返しながら、先を急ぐ。ときどき笑う。時に眉をひそめる。そして、自身が読んだ部分の前と後について、何が書かれていたのかについて考える。適当にでっちあげる。満足する。

 ああ、何という幸福よ。本を読むという楽しみを与えてくれたすべての人たちに、心の底から感謝する。

 そして、忘れる。読んだことをすべて忘れて、ただ道を歩く。そして、いつもの暮らしに戻っていく。趣味は読書である。

――了――

※「【SFファン交流会】メールファンジン」155 号初出


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