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自身について語るときに村上春樹が語ること|村上春樹UCバークレー校で講演【取材記事|2008.10.17】

(掲載|北米毎日新聞|Hokubei Mainichi Newspaper|2008.10.17)

【取材背景】

世界的な作家、かつ、あまり人前に出ないHaruki Murakamiの登壇とあって、講演を主催したUCバークレー校には、インタビューの申し込みが殺到したそう(当然僕もリクエストを出した)。でも、地元を代表するサンフランシスコ・クロニクル紙にしか、インタビューの許可が出なかったと、講演当日学校の広報が教えてくれた。この講演会、取材許可は出たものの、メディアへの特別扱いは一切なく、本人にコメントをとるのもNG、聴衆同様に写真もNG、録音もNG。2時間ほどの講演中、むちゃくちゃ集中して、ひたすらメモを取って、記憶がフレッシュなうちにばーっと記事を書いた記憶がある。後にも先にもあんなに集中したことはない(たぶん)。僕自身、ハルキストなので、直接本人を見れただけでも感激だったが、翌日、書店でのサイン会があると聞くつけ、当時、発売にしたばかりの英語版の「走ることについて語るときに僕の語ること」(これはサインをもらう条件だった)と好きな本一冊にサインをもらえるとあって、「ノルウェイの森」を家から持っていった。2時間ぐらい並んだものの、前日の厳重警戒はどこへやらで、すんなりご本人にお会いでき、サインをもらって、握手もしていただいて、厚かましくも、「僕も書くことを仕事にしてます!」というようなことを言い、「そうなんですか」と笑顔を向けられた記憶がある。

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Photo by Elena Seibert

自身について語るときに村上春樹が語ること

心は世界どこでも同じ

村上春樹さんがバークレーで公演

 作家、村上春樹さん=写真=の講演が11日、UCバークレー校のセンター・フォー・ジャパニーズ・スタディーズ(CJS)創設50周年記念行事の一環として催された。作品は36カ国語に翻訳され、日本の枠を越え、世界で知られる作家。しかし、テレビ出演はもちろん、公の前にほとんど姿を見せないことで知られる。その村上さんの話が聞ける稀な機会とあって、会場のUCバークレー校のゼラバックホールは2000席が埋った。

 講演は、日本語による朗読で始まり、作家で東京大講師のローランド・ケルトさんとの英語による座談会や質疑応答があり、終始ユーモアとウィットに富んだ話で会場を沸かせた。

 朗読した「とんがり焼の盛衰」(「カンガルー日和」収録)は、デビュー2年後に書いたもので、当時の心境が表れていると解説、「書いたことすら忘れていたが、数週間前に見たら、何も変わっていないと感じた」という理由で選んだ。

 1979年、「風の歌を聞け」で第22回群像新人文学賞を受賞、作家デビューした。当時、ジャズ喫茶を経営、朝から晩まで働いた後の数時間、キッチンテーブルに向かい、小説を書いた。

 神宮球場のヤクルト戦観戦中に思い立って小説を書いた、というのは有名なエピソードだが、「それまでは何も書くものがなかった」という。

 「20代の大変な時期が経験となって、書くものができたと分かり、29歳のとき書きたいと思い立った」

 どんな人が読むか分からない。有名になりたいわけでもない。ただ、楽しむために書いた。「それがいい要素だったのだと思う」と振り返る。同時に「自分が書きたいものが何なのか、自分が何を考え、書くべきことが何なのか知りたかった」。

とんがり焼

 書きたいものを書いたら、賞をもらった。「クイック&イージー。そして、突然作家になった」。

 新しいスタイルは若者を中心に読者を魅了した。評論家から高い評価を受け、日本文学のニューボイスともいわれた一方で、青二才(punk)、詐欺師(con man)などといった批評にもさらされたという。

 「まるで『不思議の国のアリス』のアリスになったみたいな気持ちだった」

 自分は書きたいものを書いたにすぎないのに—。そんな戸惑いが表れている。

 「『とんがり焼』がどういうものか、どんな味かは分からないけど、おそらく、とがった形をしていて、焼いてあって、食べられるものならば、想像は自由なはず」

 登場するのは伝統の菓子「とんがり焼」(特に感心する味ではない)、新しい「とんがり焼」を開発した僕、新しさを求めながら「とんがり焼」の定義にしばられる会社の重役たち、そして、最終的に「とんがり焼」の是非を決める、おぞましい姿をした、とんがり鴉(がらす)。自身の立場、伝統を重んじる(重んじすぎる)習慣、評論家などを象徴しているようだ。

 人と違う存在でいることは難しい、そしてそれは今も変わらないのだと話した。

バランスをとるため走る

 夜は9時ごろ寝て、朝は4、5時に起きる。夢は見ない。起きた時には、頭は空っぽなのだという。その状態でマッキントッシュに向かい仕事をする。

 「地下室(Underground)があって秘密の扉があり、そこを開けて、何かを見て、見たものをおぼえ、戻って来る。自分がやっているのはそれを観察して(observing things)いるだけ」

 英語版がさきごろ発売されたエッセイ、「走ることについて語るときに僕の語ること(What I Talk About When I Talk About Running)」で走ることに言及しているが、肉体的にタフになることは、とても大切なことなのだと話した。

 「タフになってダークプレイス(あるいは地下室)から戻ってこなくてはならない。そのためには体をきたえて、バランスをとる必要がある。ダークプレイスと太陽の下、というバランス」

作家としてできること

 「ノルウェイの森」が上下巻それぞれ200万部を超す大ベストセラーになった。しかし同時に周囲は慌ただしくなる。

 「海外に出たかった。鴉がいっぱいいたから」

 海外で過ごしている間に、日本ではバブル崩壊、阪神大震災、地下鉄サリン事件(事件発生時は日本に滞在していた)と大きな出来事が続いた。

 「日本人は、日本はもっとよくなると思っていたのに、それを裏切られ、一人一人が自信をなくしている。作家としてできることがある」。そうした状況を日本の外から見て、「帰らなくてはいけない」と思ったという。

 そんな思いを抱き、手掛けたのが、地下鉄サリン事件の被害者たちにインタビューしたノンフィクション「アンダーグラウンド」であり、阪神大震災後の話をつづった短編集「神の子どもたちはみな踊る」だった。

 「一人一人がストーリーを持っている。人生はそもそもつまらないものだが、一人一人をもっと一生懸命好きになったり、愛したりすれば、とても興味深いものになる」。そして「彼らのために書くことは、とても温かく、感動的な経験だった」と、自身にとっても大きな転機になった、と明かした。

共感とユーモア

 「『ノルウェイの森』で描かれた孤立感、孤独感は、今の日本でも共通するものなのですか」という質問が会場から寄せられた。

 「心は同じ。だけど、それは日本だけの問題ではない。自分の本が世界中で読まれるのは、やはり心が同じだからではないかと思う」と言う。

 共感。そこに世界で読まれている理由がある。そしてユーモア。講演で最も突出していたのはユーモアのセンスあふれる話だった。

 講演を聞きにきていた上田愛(まな)さん(サンマテオ)、網野安里さん(サンフランシスコ)の、「とてもユーモアにあふれた人だった。陰と陽という感じが分かり、本の内容と作者がうまくつながった」という言葉が印象的だった。

 アンシュマン・シンダールさん(オークランド)も「世界的に著名な人なのに、とてもユーモアのある面白い人だった」と口をそろえる。

 「先週、新作を書き上げた。重い本になる」。会場からは拍手がわき起こった。

 世界は共感とユーモアを求めて、村上春樹がおいしく焼いた新しい「とんがり焼」を待望している。

参考=「村上春樹がわかる。」(朝日新聞社アエラムック)、ウィキペディア(ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹)、「ダヴィンチ」メディアファクトリー/2002年11月号、「日本文化というレッテルを超えて、世界の文学として評価されるハルキ・ムラカミ」


実際の紙面

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