オレのタナー一家を返してくれ!!

昔NHKでやってたアメリカのホームドラマ「フルハウス」。
あの手のドラマは吹き替えの声まで込みで作品だという認識でいる。
「フルハウス観よっと!」ってなった時に、頭の中ではすでに色々鳴ってるのだ。
オープニングの曲とともに登場人物たちのそれぞれの声が鳴っているのだ。
脳内再生されているそれらの音と、実際に始まったドラマの中の音を無意識のうちに照らし合わせながら「あー、コレコレ」と、安心するのだ。

安心する。というのが大切なのかも知れない。

先日、音声の設定が変わってしまっていて、吹き替えではないオリジナルの英語バージョンで観てしまったことがあった。
頭の中で鳴っているジェシーの声じゃない!ジョーイの声じゃない!ダニーは含み笑いが必要だ!ステフはもっと子供っぽいはずだ!DJはもっと達観した声なんだ!………

急に知らない人達みたいになってとても不安。
寂しい…。
お前ら誰だ!?いつものタナー一家をどこに連れて行ったんだ!?返してくれ!!オレのタナー一家を返してくれ!!!

もちろん、これがこの人達の本当の声だってことはわかってる。
日本語吹き替えでもオリジナル音声でもドラマの内容はもちろん同じ。
だけど字幕で観てもちっともおもしろくない。
知らないアメリカ人の会話劇を見せられているようで寂しさが募るばかり。
しかも見た目はいつものまんまだから(当たり前だ)違和感と不安感ばかりが増幅していく。

辛抱たまらなくなって、音声設定を変えて日本語吹き替えに。
するとすぐにいつもの彼らが帰ってきた!コレだよコレ!
あぁー、流れるような会話のキャッチボールが気持ちいい。それぞれの声のニュアンスが気持ちいい。
とんでもないこの安心感。

観ているドラマは同じなのに、音声が変わるだけでこんなにも印象が変わってしまう、不思議…。

あと、フルハウスで嫌な回がたまにある。
あの番組はなぜかビーチボーイズとの繋がりが深くて、ビーチボーイズのコンサートにタナー一家がゲスト出演する回がある。
その時、彼らは役を離れてタレントとしての顔になってしまうのだ。
それがとても寂しい。
吹き替えで観ていてもコンサートのシーンだけはオリジナルの音声になる。そうすると途端に知らないアメリカ人達がハシャいでるだけに見えてしまって、置いてけぼりを食らってしまうのだ。
寂しい…。

そう、オレにとってフルハウスとは安心感を得るための装着なのだ。


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