見出し画像

やさしさに包まれたならで、もろくもダム決壊

あ、これはヤバいとか、このままだと泣くとか、眼のフチのあたりがヒクヒクして涙ダムが決壊しようとしているのがわかる時がある。
実際に涙を流して号泣するとまではいかないまでも、「涙感」が臭うことが年齢を重ねるごとに多くなった。

映画を観ていてイイ場面にさしかかった時。小説を読んでて主人公の苦労が報われた瞬間のページにさしかかった時。ひどい時だと道を歩いていてすれ違いぎわに聞こえてきた子供の歌声をキャッチしただけで「涙感」が臭ってしまう。そんな場面が歳をとるごとに多くなっていると実感している。

僕の直近の「涙感」は先週の月曜日。
TBSラジオ「たまむすび」のパーソナリティ赤江さんがコロナ感染で二ヶ月お休みしていて、復帰した時の放送。
その放送の赤江さんの第一声で「涙感」臭いまくり。
そしてその後、赤江さんによる選曲でユーミンの「やさしさに包まれたなら」がかかった瞬間にもろくもダムは決壊。
あー、本当にそうだよなと音楽が身体に染みまくった。
赤江さんよく頑張ったね。たくさんの人に支えられて病気を克服して帰ってきて、今度はその経験を自分の言葉で発信していく使命感に燃えている。
病気なんだから休むのは仕方ないこと。だから「ごめんなさい」みたいな謝罪が一切ないのが立派!そのかわり「ありがとう」を心をこめて言っているのがよくわかる。
そんな「涙感」。

しかしよくよく考えてみると、「涙感」が臭いやすいシチュエーションは、悲しい出来事だとかツライ事件だとかではなくて、結果に至るまでのプロセスが見えた時が主なのだ。もしくは、そのプロセスが想像できた時。

それってきっと、20歳の頃にはスルーしてしまっていた出来事でも、僕なりの人生経験ってやつを経た今ならばその背景とかプロセスを想像することができて、そこに人間が生きていたことに気づくことができるようになったということ。その人の痛みや傷やブルースを想像することができるようになったということ。

涙もろくなったことを「歳をとると涙腺が弱っちゃうよねー」の一言で片付けることはできないんではないかしら。


新しい曲をレコーディングしました。
六月いっぱいは無料ダウンロードできますので是非。(自粛期間あけスグのレコーディングだったため、喉がまっったく開いておらず、うわずり気味な僕の歌声が聴けます。本当の意味であの時にしか録れなかった歌。)


「涙もろもろ」。【なだもろもろ】と読みます。
沖縄で乗った深夜タクシーでかかっていた夏川りみ「涙そうそう」を聴いて僕も涙そうそうしてしまった出来事からタイトルにしてみました。

https://dobrok.official.ec/


【涙もろもろ】

涙もろくなったのは悲しみにおしつぶされたからじゃなく
人知れず泣いている人をたくさんみかけたから
涙もろくなったのは心の傷が増えたからじゃなく
人知れず戦ってる人にたくさん出会ったから
冬の夜の帰り道 風の中ひとりぼっち足音響く
聞こえるよ聞こえているよ小さなその声が

闇を越えて夜を越えて
光の種を分け合って
咲かせるよ新しい花やありきたりな花を
咲かせるよ美しい花や忘れられた花を

涙もろくなったのは喜びをいくつも知ったから
誰かの喜びがオレの喜びとなったから
生きることは素晴らしい信じ続けることは美しい
痛みすら優しさに変えるあなたよあなたよ

闇を越えて夜を越えて
光の種を分け合って
聴かせるよ新しい歌やありきたりな歌を
聴かせるよ美しい歌や忘れられた歌を

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?