実務的に使われることの美しさ
大切にしすぎるがゆえに使われることもなく飾られたりしまわれたりしている道具はとても哀しい。
それに対して、大切にそれでいて実務的に使われてきたんであろう道具はとても美しい。
この夏、兄夫婦の家にお邪魔した時のこと。
リビングに置いてあった机が素敵すぎて思わず「これ、もしももしも要らなくなる時がきたらちょうだい」と、図々しい申し出をしてしまったのだった。
他の人にあげちゃったとか捨てちゃったとかなって「えーー、欲しかったの?言ってくれたらあげたのに!」みたいになるのが残念すぎるので意を決してそんな申し出をしたのだった。
いや、「意を決して」は嘘だ。
割と瞬発的に言ったのだった。
それからわずか二ヶ月。
「引っ越し祝いであげるよ」と、その机を譲り受けることになった。
嬉しい!
図々しい申し出もしてみるもんだ。笑
そうして僕の部屋にやってきた机。
インクの染みやカッターの切り傷などがついていて実に味わい深い。
美しいと思う。
その机に向かって絵を描いたり本を読んだりコーヒーを飲んだりビールを飲んだりしてみたらすこぶる気分が良い。
良い道具と共に気分良く過ごす時間というのは精神衛生上、本当に大切すぎることなんではないかねと思った秋の夜長。
文末に「秋の夜長」ってつけるとちゃんと着地できたような気になるから便利だなーと思った秋の夜長。
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