見出し画像

小さな優しい世界

消費者が賢くなって、生産者が儲かる。きちんとしている人が報われる。弱者を見捨てない。誰もが平等。誰もが幸せ。
そんな世界は優しく、美しい。

だけど、それを望まない人が多い。
人より稼ぎたい、人よりお金持ちになりたい、人の上に立ちたい、人より人より人より、、そう思う人がどれほど多いことか。

みんなで平和に、平等に暮らしたいと口にする人の中にも、きっといる。
平和で平等な世界になると、次は欲が出る。もっと、と思ってしまう。
もっと、の先には、人より、誰それより、がある。

そうして、優しくない世界に戻る。

その前に優しい世界にはならない。
なぜなら私より稼いでいる、私を搾取する、私よりお金持ちな、私たちを支配する層があるから。
その人たちは、この世界の維持を望む。また、維持できるだけのお金と力を持っている。

そして、自分もそうなりたいと願う人も、このままであるように動く。

世界を変えることはできない。たぶん。残念ながら。
もちろん、そんな理想を抱くことは大切だし、もしかしたら変わるかもしれない。世界規模の戦争や大飢饉や死の病の蔓延によって世界の富裕層が減れば。富裕層になりたいと思えないくらいの貧しさで世界が統一されたならば。

今回は期待したけれど、結局ペストのように世界を変える病ではなかった。それどころか、これを利用して富裕層は一層富を得ている。
富の再分配ではなく、富の一極集中に終わった感がある。

じゃあ、優しい世界は私が生きているうちに訪れないのだろうか。
世界が変わることはなくとも、世界を作ることはできる。
小さな優しい世界。
コロニーとでも言うべき世界。

たぶん、現存しているシェアハウスでコロニー的な部分を持つところは多くあると思う。
私のいるモリハウスもそれに近い。(モリはもう少し大きなものを動かそうとしているように思うけれど)
いなフリ界隈のコミュニティもそう。他のコミュニティを知らないけれど、シェアハウス同様にたくさんある気がする。

ものやお金が回る、小さな世界。
その内にいるのは、同じような志向性の人たち。
稼ぎの額は異なって、ある人は1000万近く稼ぐかもしれないし、私のように生活できるギリギリ(より少ない)しか稼げないかもしれない。
でもごはんを分け合ったり、お家賃を待ってもらったり、お家賃の代わりにDIYをしたり、仕事を紹介したり、たくさん仕事をとって仕事を回したり。近所の人や知り合いからお野菜をたくさんもらってシェアしたり。

そんな小さな優しい世界は、実はすでにあちこちにある。
雰囲気や居心地はそれぞれ。
合う、合わないもある。
ここであれば、夏の湿度の高い暑さ(エアコンなし)やドカ雪(年による)、ムカデやカメムシ、クマやイノシシやサル、年に2回の除草作業、それらを受け入れられるかどうか。

今また、小さな優しい世界を作ろうとしている人たちがいる。
家が見つかるか、人が集まるか、わからない。
でも作りたいんだと思う、自分が生きやすい世界を。

世界全部が優しい世界になる日は来るんだろうか。
それまで小さな優しい世界で待つことにしよう。


ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす