うおおお

石を削る

ひとりきり、気づけば暗闇に立っている。大きな石を大事そうに抱えている。それを切り落とす、大胆かつ丁寧に。雑草を抜くように、心臓に触れるように。
果てしない時間の末、ようやく顔を出したのは透明度の高い青。所在なさげに揺れる炎が石面にきらきらと反射する。薄暗い闇のなかでもその青は鮮やかに輝いていた。石は当初の数分の一の大きさになり、青い結晶となった。その輝きは他人の目を魅了しはじめる。ひとりきりだったはずが、周囲にすこしずつ人が集まってくる。炎はかわらず揺れている。

仕事は続く。ひととおり石を眺めたあと、今度はそれを磨いていく。
表面をがりがりと削る不快な音が耳の奥に響く。あるいはそれは、彼を取り巻く人々の声なのかもしれない。聴衆は男に様々な称賛を投げかける、男の言葉を待ちわびている。だが惑わされてはならない。
信じていいのはこの炎だけだ。

黙々と石を削る男に聴衆は不平を漏らす。ある者は去っていき、ある者は小石を投げつける。男は動じない、動揺を見せるのは得策ではない。自分の言葉で意図を説明する必要も、またない。沈黙のみが求められている。
炎が男をじっと見つめている。

石を削る。男はしばし葛藤する。切り捨て難い美しい箇所が、この石には複数あるのだ。しかしそれらは両立しない。最も美しい部分を活かすためには、それに劣るがじゅうぶんに魅力的な輝きを、削り取らなければならない。大変に口惜しい。
だが、重要なのは自分の感情ではないということを、男は思い出す。石自身がなにより雄弁に語っている。その冷たさのなかに、自分のあるべき形、整えられるべき像をたしかに持っている、男はそれを理解する。

深く息を吸い込んで、男は鑢(やすり)を走らせる。先ほど男が愛でていた輝きは、青い粉となり、ぱらぱらと床に落ちていった。これでよかったのだという気持ちと、言いようのない喪失感がともに男の胸に去来する。彼らはいつも連れ立ってやってくる。いつものことだと男は首を振る、不安を振り払うように。
彼の決断を、誰も咎めることはできない。同時に救うこともできない。最後まで自分ひとりで背負わねばならない。


自分で削ぎ落としたんだ。

男は石を削る、周囲に残った人間は息を呑んで見守るばかりだ。男はこの奇妙な孤独に心地よさを覚える。世界がまるごと自分のものになったような錯覚とともに、作業は続いていく。圧倒的な没頭。しかし男は行き過ぎない。繰り返すが、重要なのは自分の感情ではない。石が望んだ形に磨き上げることこそが男の使命である。石が男を導いている。

緊張と弛緩。男はかたわらの炎に目をやる。もう随分ながく共にいるような気がする。風に揺られながらも消えることなく燃える。愛おしいな、と思った。この旅ももう終わろうとしている。男は暗闇を一歩も動かずしてとてつもない距離を渡り歩いた。この石が歩いていくであろう景色を、朧気ながら、見た。すべては石のなかにしまいこまれている。

抱えるほどだった石が、ちっぽけな、だが真っ青な宝石へと化けた。とても美しかった。男はそれを手にとって眺め、頷いたあと台の上に置いた。そうしてその場を後にした。
その宝石の輝きは、研磨中のそれとは比にならないほど多くの人々を魅了した。群衆が、宝石のまわりに群がった。その青を眺めるだけで、心臓を鷲掴みにされるようだった。その青はとてつもなく雄弁だった。男が口を閉ざした分を補ってあまりある雄弁さだった。
青い宝石は誰もが知るようになった、しかし男の名を知るものはいなかった。それでよかった。それこそが望みだった。

去っていく男の傍らには、揺らめく炎だけが。

寿司が食べてえぜ