見出し画像

テリトリーの喪失

生きる場所が奪われ、狭められる。
他のものに自分たちのテリトリーを脅かされ、それまでの行動範囲が制限される。

ここ数週間起きている出来事は、まさにそんな感じだが、この感覚からこの星の環境問題というものを捉えてみると、起きている事象の深刻さがあらためてわかるんだな、ということを、昨夜読みはじめたブルーノ・ラトゥールの『地球に降り立つ』のこんな言葉から感じとった。

移民の増加、格差の爆発、新たな気候体制――実はこれらは同じ1つの脅威である。

これらがみなテリトリーの問題としてつながっていることを知ると同時に、いま起こっていることもそのテリトリーの問題のバリエーションなのだということに気づいた。

Earth Overshoot Day

「アース・オーバーシュート・デー(Earth Overshoot Day)」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
人間による自然資源の消費が、地球の1年分の資源の再生産量とCO2吸収量を超えるのがその年のいつ起こるかという指標だ。

これは年々早まっており、1970年代には12月だったのが、1993年から10年ごとに10月21日、2003年は9月22日、2013年は8月20日と早まっていて、2015年12月にパリ協定が結ばれたにもかかわらず、その加速に衰えは見られず、とうとう昨年2019年のアース・オーバーシュート・デーは7月29日まで早まった。
ようするに、もはや今の生活はほぼ地球2個くらいないと成り立たないものとなっているということだ。

当然、現実のリソースはその半分くらいしかないわけで、今の生活スタイルを抜本的にあらためるか、あらためたくなければ人間間で奪い合うかしかない。
そこで後者の選択が行われれば、自分たちの取り分であるはずのものを奪われる人が少なくとも7月30日分以降の不足分を補わなくてはならない量だけ発生することになる。
つまり、自分が生きていくテリトリー、地盤を失う人がそれだけ発生するということだ。

持つものと持たざるものが生まれ、それがようするに格差の問題だし、生活のためのテリトリーを失えば新たなテリトリーを探しにいくしかないわけで移民となる。移民は別の土地や国への移住だけでなく、職を失い新たな職を求めるという意味で移住も含まれる。

そして、それらは環境の問題と不可分なのだ。

グローバリゼーションのグローブ(Globe=世界)を実現する惑星(planet)、地球(earth)、土壌(soil)、領土=テリトリー(territory)など、どこにも存在しない。これまではすべての国がそのグローブを目指してきた。だが、もはや誰にとっても、確実な「安住の地」はないのである。

1個しかない地球の上で、2個近いそれを必要とする人間たちが暮らそうとすれば、それはテリトリーの問題が発生するのは、きわめて当たり前のことだといえる。

Exit

ゆえに、ラトゥールはこのような問いを立てる。

これにより、私たちの一人ひとりが、次のような問いに直面することとなった。今後も現状をつねに超えていく近代の夢を見続けるのか、それとも自分たちと子孫が暮らせるための新たなテリトリーを探し始めるのか。
問題の所在を否定するか、着地できる場所を探すかのどちらかである。

問題の所在を否定するものの代表者がパリ協定からアメリカを離脱させたトランプ大統領だろう。そして、そのトランプを支持するピーター・ティールのような富裕層だ。
彼らは「今後も現状をつねに超えていく近代の夢を見続ける」ため、自分たちのまわりに中世のような城壁をつくりはじめた

そのことについては以前「ニック・ランドと新反動主義/木澤佐登志」で紹介してもいる。

あらためて『ニック・ランドと新反動主義』から引用しておくと、こうだ。

CEOは自身が保有する国家=企業の利潤を最大化するように努めなければならない。というのも、CEOが国家=企業の運営に失敗した場合、国民=シェアホルダーはそのCEOが治める国家=企業から去り、別のCEOが治める国家=企業に自由に移住していくだろうから。つまり、いわば企業間競争のようなものが国家間で発生しているわけだ。これらの点から、国家=企業は都市国家のような、なるべく小規模の形態が望ましいとされる。新官房学における国家=企業は、民主主義的な「ヴォイス」ではなく、声なき「イグジット」という概念をベースにデザインされる。

ここで「イグジット」というキーワードが出てくるとおり、それはパリ協定からのアメリカの離脱にも、EUからの英国の離脱にも、もちろん関係している。彼らは今後自国のテリトリーを他国に奪われないよう、城壁のなかに立て籠もったのだ。
ラトゥールはこう書いている。

かつての「自由世界」を支えた最大の担い手国、英国と米国が他国にこう告げる。「私たちの歴史はもはやあなた方の歴史とは交わらない。あなた方は地獄へ向かうのです」。

Territory

環境問題、気候変動という捉え方では誰も動けないが、それが自分たちのいまの生活を直接脅かすテリトリー争いの問題となれば別だ。人はすぐさま重い腰をあげて、そこらにある武器になりそうなものを手にするだろう。見えない敵の気配を察知したらすぐにでも戦闘モードに入る。近くに咳する人がいれば身構えるいまの状態はまさにそれだろう。

自然を守れと言われたときと、自分のテリトリーを守れと言われたときでは、湧いてくる感情が違うことに気づくだろう。自然を守れと言われれば、あくびは出るし退屈なだけだ。しかし自分のテリトリーを守れと言われると、目が冴えて瞬時に臨戦態勢を取り始める。

いままさに自分たちのテリトリーを脅かしこれまでの日常的な活動を大きく制約している、見えない敵もまた、類似する問題だ。
個々人も、各国も、自分(たち)のまわりに、マスクだのリモートワークだの入国制限などの堅牢な壁をつくって敵の侵入を防ごうとしている。だが、移民たちの入国を水際で防ぐようには簡単にはいかない。なにしろ敵は人間からは見えていないのだから。

しかし、僕らはいまこそ気づかなくてはならないのだと思う。
確かにいま起こっている事態はわかりやすく人類の生活を脅かしていて、ハイリスクなものだ。けれど、それと同じことが環境リスクの問題でも同じであるということに。

ラトゥールはいう。

久しく前から、私たちが打ち立てた国境線などものともせずに、「新気候体制」が世界中で吹き荒れている。吹きすさぶ風に私たちはつねにさらされている。どのような壁もこの侵略者を防ぐことができない。

新気候体制とは、近代文明の不動の背景として当然なものと信じられてきた自然や物理的な枠組みがきわめて不安定になっている現在の状況をあらわすためのラトゥールの造語だが、その目に見えない脅威もまた、どのような防壁をもってしても防ぐことができないものだし、より大きな範囲で僕たちの生きる基盤としてのテリトリーを奪っていく。

だからこそ、ラトゥールは「着地できる場所を探す」必要性を問いかけてくる。
そう。僕らはテリトリーを奪われるリスクについて身をもって感じているいまだからこそ、より大きな危険にどう立ち向かうかを考えはじめるチャンスなのかもしれない。


基本的にnoteは無料で提供していきたいなと思っていますが、サポートいただけると励みになります。応援の気持ちを期待してます。