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視点をもって見る

何かを見る際、こういう見方で見ようという視点を持って臨むのと、そういうのがなく臨むのとでは、対象に対する理解というものはまったく異なる。

何を書いてるかわからなかった本がわかるようになる

例えば、昨日「中間愛」という記事で紹介したダリオ・ガンボーニの『潜在的イメージ』という本。

実はこの本読もうと思ったのは2回目だ。今年のはじめすこし読みはじめたときは、あまり内容が頭に入ってこなかったので最初のほうだけ読んで中断していた。
450ページもある上、こんな感じの2段組だから、さすがに難解な本を好む僕もちょっと読み続けるのは厳しそうかなと思ったわけだ。

けれど、今週末に観に行こうと思ってるオデュロン・ルドン展の予習にもなると思い、ルドンの研究者でもあるガンボーニのこの本をやっぱり読んでみようかと思い直したのが、2日前。
読むのを再開したら、ここ最近気になっていた「中間」というキーワードがこの本にも見つかって、それで本の印象が一転。この本をどう読んだら面白いかという視点がわかり、一気に著者が言っていることがわかりはじめ、今はとにかく読み進めたい気持ちになっている。

文脈という視点

実はこのことは物事を理解する上で大事なことだと思う。

基本的に物事というのは、文脈がわからないと理解できない。リサーチだとか、インタビューをして、対象者から話を聞きだしても、どういう文脈でそれを理解すればよいかがわからないと、話の内容がわからなかったり、大事なことなのに分析の際にスルーしてしまったりする。

実際、複数人で話を聞いた際でも、ビジネスのことについての話から何を得るかは、聞く側のビジネス文脈の理解度によって大きく異なる。だからインタビュー後、すぐに話を聞いた全員でどんな風に理解し、どこが大事だと思ったかとか、気になったかを共有するデブリーフの時間は欠かせない。

この文脈というのは、別の言葉で言えばフレームワークだろう。だから、当然、何らかのフレームワークで物事を見る際には理解を助ける反面、理解の仕方に一定の枠組みをはめて見てしまい、違う意味合いを見落としてしまうこともあるので注意は必要だ。

わからなかったら、まず視点を決める

これからやる仕事のやり方をデザインする場合でも、「わからないな」と感じるときは、たいていはどういう視点で見るかということの目安がついてないのだと思う。

想像しやすいのは、何のために?という目的の視点を定めることや、誰がどう関わるのか?という人という視点を入れること。目的だとか、使う人、関わる人の視点で、どう仕事をすればよいかと考え直してみることで、必要なものが見えてくる。この「見えてきた」感が大事だ。

何か仕事を進める上でうまくいかないのは、たいてい、こうした観点でプランが曖昧なままだから。曖昧であれば当然そこで何かが起こった際の対応が遅れる。視点がないから何が起こったかがまず理解できないからだ。
たとえ、プラン上、決めきっていなくても、決めていない箇所で何かが起こった場合、どういう観点で事象を見ればよいかだけでも決めておければ対応は速やかになる。そういうシミュレーションが事前にできているかできていないかで、できることは変わる。シミュレーションこそ、視点を持つということそのものだ。

仕事の進め方という点では曖昧にしておいて、うまくいくことはほとんどない。何を決めるかとか、中身をどんなものを作るかとかは、やっていく中で決まること。でも、それをどうやれば決められそうか、作れそうかは、プランを立てないとうまくいかない。
もちろん、プランどおりに進まなくても、どういう視点でプランを立てたかというところさえ、しっかりあれば途中で軌道修正も難しくないはずである。やっぱりシミュレーション。

そんなわけで、ちゃんと視点持っていますか?という話。

#デザイン #プロジェクト #フレームワーク #コンテクスト #リサーチ

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