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すごいけど、完璧じゃない

この時期になると、人を褒めたり、褒められたりという機会が増える。

たしか半年前にもたしか書いたけど、僕が働くロフトワークという会社には、通常の人事評価とは別に、360°レビューという、社員どうしがほかの人のよいところを褒め合う制度があるからだ。

自分で褒めてもらいたい人を指名して、指名された人は指名してくれた人と主に半年間かかわるなかで良いな、素晴らしいなと思ったところを言語化してあげる。
褒めたもらえるほうが嬉しいのはとうぜんのこと、褒める側もあらためて相手のよいところが明確になるので、それ自体うれしかったりもする。

時にこうして立ち止まって普段ぼんやり感じているだけで済ませていることを、ちゃんと言葉にして明らかにしてみる機会をもつことは本当にいいことだと感じている(まあ、僕はしょっちゅう言語化ばかりしてるけど)。

すごい、でも完璧じゃない

今回、またその360°レビューしてみて気づいたこと。
それは僕がよいな、好きだなと思える人は、それぞれすごいなーと感心させられる面がある一方、あ、でも、そこは抜けちゃうんだ 笑 的なところもあわせもっている人なんだなということ。

一言で、よくある言い方をすれば、「人間らしくてよいな」ということになるんだけど、「すごい部分」と、「ここは抜け漏れたりするのね的な部分」と両面あるのが微笑ましい。
完璧すぎるのは気持ち悪いし、実際そんな人は滅多にいない。

でも、割と多くの人がマイナスがない状態を目指しがち。
実際に魅力的なのは、どこか人より秀でたすごいところがありつつ、抜けてる面もあるというバランスが取れてない人のほうなんだけど、ダメな面を見せたくないのか、結果的にどれも平均的にできるような、よく言えばバランス型、悪く言うなら強みのない形で落ち着いてしまう人は少なくない。

そうじゃなく、こういう面はほんとすごいなーと感心させられるような人が、別の面では、クスッとしてしまうような「できない子」の顔を見せてくれるほうが、結局関わってて面白いし、お互いにうまくいきやすい。極端に人に迷惑をかけるものでない限り、マイナスメンバーなんてあってよいし、それよりもプラス面が明確でないほうがどちらかと言えばやりづらいものだ。

許容度のあるやなしや

あと、すべてに平均的な完璧さを求める人よりも、秀でてるところがあって、でも抜けてるところあるくらいのひとのほうが他人に対する許容度もあると思う。多様な人のあり方を受け入れられる。

それはひとえに自分の自信の有無とも関係してる。

ひとつでも秀でたところをつくれてる人は、他人を落ち度で評価するよりも良い面をみて評価できるし、コラボレーションもできる。
そうじゃなく自分でも平均的で秀でた面がうまくつくれてないと、自分に自信がないせいか、他人を見る場合でもマイナス面の落ち度を指摘しがちになってしまうし、コラボレーションする相手にも完璧を求めてしまって、結果として平均的なものしか産めなくなる

また、何かに秀でた形に自分の学びをマネジメントできてきた人は、自分自身の成長のさせ方もなんとなくわかっているし、人って変わっていくものだ、成長していくものだということを知っているので、他人に対しても同じような目を向けることができる。
つまり、いまできるかできないかをそれほど重視せず、将来的な可能性を相手の人自身が切り開いていけそうかどうかというところで判断できたりする。

変わっていくことをイメージできる人は、いまの状態ですべてを判断してしまわないので、その分、許容できる範囲も大きくなる。
歩み寄っていく、シンクロしてくる、スキルが互いに高まってくるという変化を視野に入れることができるから、多様な人と多様なスタイルでのコラボレーションが可能になる。

そして、ひとつ秀でたところがあれば、それを軸に全体をある程度、引っ張れる。
だから、最悪自分で巻き取れば良いやと思える余裕もでき、他人に対して不必要にきびしくなることなく、いろんなことを受け止められるようになる。

スタティックに見ない、ダイナミックに考える

物事を静的に捉えてしまうのは本当に事実の誤認を生みやすい。
なんども同じ失敗する人も中にはいるが、人は失敗を重ねて、いやチャレンジから学ぶことを通じて日々変わっていくものだ。
そういう人間というものを理解しようとするなら、つねに動的に変わっていくもの、成長し続けているものとして理解しようとしないと、相手のことを見誤るケースが増える。

それに、それは他人にレッテルをはることに他ならず、許容度のすくない、凝り固まったイメージを相手に押しつけてしまうことになる。
ようするに現実の相手を見ていないということにほかならないし、自分自身に対しても同じことがいえる。間違った自分像に自分を閉じこめてしまうから不安になるし、その不安を外へと押しつけるからうまくいかせることが可能な領域が狭くなる。

フィードバックをループを回しながら共に変わっていく

基本的に、人はなんらかの仮説をもって外界と接触し、そこからのフィードバックを柔軟に受け止めながら外界への理解とともに、自分自身も変化させながら、相互作用的に影響を受けたり与えたりしながら、周囲とともに変化していく。

それが成長であり、コラボレーションであり、エコシステムというものだろう。自分自身がつねに日々変わり続けられる、成長し続けられると信じている人は、他人もそうであることを信じることができる。
そうであれば、相手がいま何かできないことは気にならないし、相手とともに自分もいっしょに変わっていく成長のプロセスを楽しむことができる。

何かが創造されるとしたら、まさにそうした自分たち自身も含む動的な変化の繰り返しのプロセスの蓄積によってである。

そのことを上手にできる人が、すごいけど、完璧じゃない人かなと思った。
そういう人がたくさんいるなと思えた機会だった。

というわけで、フォロワー50,000人超えました。
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