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置きにいく仕事をしない

これは僕の仕事のようにある限定された領域にのみ通じることなのかもしれない。

そうかもしれないけど、昨日あらためて気づいた。
やっぱり中途半端に置きにいっちゃうといけないんだ、と。それだとあとで余計に苦しくなるんだなと。

置きにいく仕事

ここでの「置きにいく仕事」というのは、明確な意図がないがなんとなくこんな感じで良さそうなんじゃないかという程度の計画で進めてしまう仕事のことを言っている。

ちゃんと考えずに、なんとなくありそうな形を踏襲して、「まあ、こんな感じ?」という風に進めようとするものがうまくいくはずはない。まあ、そんなこと当たり前なんだけど、へんなゾーンに入っちゃうと、そんな選択をしてしまう場合はなくはない。で、あとで気づいて、なんでこんな計画ならぬ計画でいいと思っちゃったんだと後悔する。

計画ならぬ計画というのは、そこで置きにいった空っぽの計画が、頭のなかで実行してみて、どんな品質の何が生まれてくるかを想像しないまま、その計画っぽさに騙されているからだ。

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上手くいく理由

ある計画がうまくいくかどうかは、それが計画っぽく作られているかどうかでは当然ない。

状況、登場人物、その他もろもろの制約条件・前提条件を鑑みて、求める目標はこういうロジックに基づくこうしたプロセス、メソッド、体制によって達成可能であるという「なぜ上手くいくのか」という仮説があるかどうかが、計画がうまくいくかのまず最低限の条件となる。

さらに言えば、「上手くいくとはどういう状態を言うのか」の具体的なイメージがなければ、その仮説そのものが組み立てようがないのだけど、この品質の定義がされないまま、計画づくりが進められるという意味不明なことは結構起こる。

まあ、何のために何をしようとしているのか?わけわからないことになってしまうケースはなくはない。

何故動くのか?

当たり前だけど、こうなったらいいよねのイメージがなければ、なかなかそうはならない。さらに、「こうなったらいいよね」というイメージがワクワクを欠いたものなら、そのために人は動かないだろう。自分自身も含めて。

置きにいく仕事の計画がダメなのは、まさにそれが理由なんだと思う。人がやりたくなるようなイメージがつくれてないような計画はうまくいくはずがない。
だって、そんな計画は誰も本気でやりたがらないから。みんながいやいややるような仕事で良い結果が出ることはないだろう。

だから、ちゃんと何故その仕事は面白いのか、何故その結末を見るために人は動きたくなるのかを、どれだけちゃんと設計できたかが、計画の成功の可否を握るのではないかと思う。

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想像力をMAX働かせて

それには中途半端に置きにいったようなアイデアではダメだろう。

まず自分自身がこういうことをしたい、こういう風にやってみたい、こういう結果になるようにしたいという、自分自身をワクワクさせるようなイメージを想像することが大事だ。
自分自身もやりたいと思えること、実現したいと思えることじゃないと、他の人もその仕事に気持ちよく巻き込むことはできないんじゃないかと思う。

ある課題がある。
それはこうしたら解決できるかもしれない。
ここまで思いついたあとに、でも、そのやり方で楽しいの? そこで想定してる結果にワクワクできる? とちゃんと自分に問いかけてみた方がいい。
もっと面白くできるやり方はないか、もっとすごい結果を生みだすことはできないか?
そんなことを自分の想像力を最大限に使って考えてみた方がいい。

それを考えるのは確かにむずかしいかもしれない。
けれど、実行はその分楽になる確立が高い。すくなくとも協力者が集めやすくなり、集まった協力者たちのモチベーションコントロールも楽になるはずだから。

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棚橋弘季。人間の思考はどんなふうに作られているか?を問うことがライフワーク。とりわけヨーロッパ文化史に興味あり。中世後期から19世紀あたりまでを広く守備範囲に。渋谷のロフトワークという会社で働いてます。
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