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中世の秋/ホイジンガ

そもそも人間はそう簡単に自分の外にある対象を自分の中に受けとめることができないのだろう。

いま多くのことを理解しているつもりになっているとしても、それは歴史上多くの人たちが苦労を重ねて理解できるようにしたことを単に、その理解の結果を借用して自分で理解したかのようなつもりになっているだけのことだ。

そうした積み重ねがまだ不十分であったヨーロッパ中世の人々は、いまよりはるかに少ない理解で、世界、社会で起こる様々な出来事を受け止めなくてはならなかったのである。

その前提に立って中世の人々の様子を眺めれば、それがどんなに今と懸け離れた奇妙なものに映ったとしても、仕方がないと考えられるのではないだろうか。

何か理解していないことを理解した状態に移行させるのにも、それなりに労力がいる。
その労力をかけて何か新しいことを理解するかどうかは、かかる労力と労力をかけて得られる価値を天秤にかけて判断しているのかもしれない。好奇心が強ければ労力を払うし、面倒くさがりだったり何か理解することそのものが苦手で必要以上に労力がかかる場合は、理解しようとすることを避けるだろう。

わかるための擬人化

その場合、何か理解を助けるものが必要となる。わかりやすく言い換えたり、漫画にしたり、事例を示したり。
中世後期ではその役割をアレゴリー=喩えが果たした。

中世後期の人びとの文化や思考の形を明らかにした『中世の秋』で、ホイジンガはその社会においては「意味とは、すなわち、しるし(サイン)のことにほかならない」状態であったと書いている。人びとは「プリミティブな精神は、およそ名づけられるものすべてを存在と考え」、彼らにとって「存在は、かならずしもつねにではないにしても、ほとんどつねに、人間存在のかたちをとる」傾向があったというのだ。

わかりにくく、つかみにくい概念をわかりやすい存在に喩えて置き換えることでイメージしやすくする
その最たる喩えの方法が中世においては擬人化だった。
「人びとは、理念をして、ひとつの自立する存在とみなし、さらに、それをこの目でみたいと願う」し、「そうするには、擬人化こそが、唯一可能なやりかた」と考えていたというのだ。

さらに、中世においては、生活のあらゆる場面にキリスト教の教えが深く入りこんでいた。
中世においての偶像の意味は、だから、この流れの中で理解していないと誤解してしまう。

偶像というのは、その像に中世の人びとが神や聖人たちの姿そのものを見たというよりも、擬人化された美徳こそを見ていたのだと考えてみると、僕らが本やウェブ上のメディアを通じて、何か情報を得て何らかのことを理解しようとする行為と変わらないことがわかる。そして、中世における大聖堂の彫刻やステンドグラス、タペストリーに表現された物語はメディアそのものであったことがあらためて理解できる。

むくわれない愛

理解するために、対象を自分の中に引き受けるための偶像として擬人化を用いたこと。それが中世における愛の形を理解する上でのポイントでもある。
ホイジンガは当時ひろく読まれた騎士道物語『薔薇物語』でも、擬人化の表現がいくつも見られたことを指摘している。

いったい、感情の動き、愛のいきさつを、徹頭徹尾、擬人化して表現することほど、中世的なことがほかにあろうか。『ばら物語』の登場人物たち、歓待、甘いまなざし、みせかけ、悪口、危険、恥、恐怖などは、美徳や罪を人間のかたちに描きだした、これはまさしく中世特有のやりかたと、まったく同一の発想の上に立っていた。比喩(アレゴリー)、といってもいい足りない、むしろ半信半疑の神話の世界というべきか。

「半信半疑の神話の世界」というあたりに、ホイジンガはその後の古典主義的ルネサンスにおける、古代の神話を扱う精神とのつながりを見つつも、やはり擬人化が跋扈する点でこの『薔薇物語』はまぎれもなく中世的な精神にあふれたものだと考える。

ジョルジュ・アガンベンは『スタンツェ』で「中世の心理学によれば、愛とは本質的に妄想的な過程であり、人間の内奥に映し出された似像をめぐるたえまない激情へと、想像力と記憶を巻きこむ」と書いている。中世の騎士道物語で騎士たちは、手の届かぬ貴婦人たちに愛を捧げて闘いに赴く。その姿は当の貴婦人たちを愛するというより、自分の心に映った貴婦人たちのイメージを愛しているように見える。

ともにいわば愛のアレゴリーであり、本質的に鏡像への強迫的な憧憬にとらわれるという愛のプロセスの妄想的な性格を、ある心理理論の図式にしたがって、典型的なかたちで示してくれているのである。その心理理論の図式によれば、本来の意味で恋に落ちることとは、何であれ常に「影を通して」あるいは「形象を通して」「愛すること」なのであり、いかに深いエロス的志向でも、常に「イマージュ」へと偶像崇拝的に向けられているのである。

対象そのものにではなく、似姿に対して激情がうごく中世の愛は、たしかに妄想といえる。
ただ、それも概念の擬人化という側面からみると、すこし違ってみえてくる。概念が人間の形の登場人物として物語に当たり前のように登場してくる時代なのだ。人びとが似姿を通じて妄想に向かうのも、そもそも中世後期の愛は「むくわれない愛」を徳性と考えていたからだということを理解していないと読み間違えるのだ。

南仏吟遊詩人たちの作品から「官能の愛そのものから、むくわれることを期待しない、けだかい女性奉仕が生まれた」とホイジンガは書いている。

極端な中世

けれど、中世後期の人びとが、むくわれない愛を美徳としたのは彼らの徳性が高かったからではないとホイジンガはいう。むしろ、その逆で「なによりもまず、情熱のうずきを、たしかな形式のうちに枠づけなければならなかった。それを怠れば、野蛮さに堕するという罰則が、確実に待ちうけていた」とホイジンガは指摘する。

前に「倫理が現実を茶番にする」という記事で紹介したが、中世の残忍さは現代ではにわかには信じがたいものがある。

後期中世の司法の残酷さがわたしたちをおどろかすのは、その病的倒錯によってではない。その残酷さのうちに民衆のいだく、けだものじみた、いささか遅鈍な喜び、その残酷さをつつむ陽気なお祭り騒ぎによってである。モンスの町の人びとは、ある盗賊の首領を、あまりにも高すぎる値段だというのに、あえて書いとったが、それというのも、その男を八裂きにして楽しもうとしてのことであった。

こんなことが日常的だったのだ。
だから、性愛においても、ほっておけば自由すぎる方向に向かってしまうのを抑えきれない性質をもっていたというわけである。「むくわれない愛」を美徳とするのは、野性味あふれる欲望を抑えこむために必要だったのだ。

それが中世の騎士道物語にも反映される。騎士たちも野蛮な中世人にほかならなかったからだ。ほっておけば、彼らも平気で力任せに掠奪する。

中世人の意識にあっては、いわば、ふたつの人生観が、よりそいあって存在していたのである。敬虔にして禁欲的な人生観は、すべての道徳感情を、おのれの側にひきつけた。それに反発するかのように、世俗的人生観は、ますます奔放に、悪魔にすっかり身をゆだねることになった。

天使と悪魔。
実際、その2つが矛盾なく同居していたのが中世の人びとの意識だったのである。深く生活のなかに入りこんだ宗教は、そのいずれにおいても意味を持っていた。騎士たちにも常に悪魔的な意識にならないための規範が必要だった。手に入らないものこそが愛の対象となった。それが貴婦人たちの似姿であった。

先述の『薔薇物語』では、その主人公が闘いの末、手に入れるのは、貴婦人そのものではなく、女性の姿をした木像であった。

しるし

この現代に生きる僕らにとっては謎すぎる展開をする物語が当時担っていた役割を知ると驚かされる。

1240年よりまえに書きはじめられ、1280年よりまえに完成された、ギヨーム・ド・ロリスとジャン・クロピネル、ないしショピネル・ド・マン両人の手になるこの作品は、実に2世紀ものあいだ、貴族たちの恋愛作法を完全に支配したばかりか、およそ考えられうるかぎり、ありとあらゆる分野にふれての、まさに百科全書を想わせる題材のゆたかさによって、読み書きのできる一般の俗人に対し、知識の宝庫を提供し、生きいきとした精神の糧をそこからひきだすことを、かれらにゆるしたのであった。

「象徴主義は、いわば、中世思想に生命を吹きこんでいた呼吸作用であった」とホイジンガは書いているが、妄想のように擬人化された「歓待、甘いまなざし、みせかけ、悪口、危険、恥、恐怖」などが登場人物として登場する話が、「知識の宝庫を提供し、生きいきとした精神の糧をそこからひきだすことを、かれらにゆるした」とは俄かには信じがたい。
けれど、冷静になって考えてみれば、方法こそ、中世のような象徴化やアレゴリーとは異なるものの、理解しがたいものをバズワードやテンプレート化された方法論、マニュアルを通じて理解した気になっている僕らも大して、その妄想具合に違いがあるわけではないだろう。

ひとつの時代のはじめから終りまで、支配層の人びとが、生活と教養の知識を、恋愛術という枠のなかで学びとったということ、このことは、いくら重要視されてもされすぎるということはない。世俗の文化の理想が、これほどまでに、女への愛の理想ととけあってしまったような時代は、12世紀から15世紀にかけてのこの時代をおいて、ほかにはなかった。キリスト教の徳目、社会道徳、生活形態のあるべき完全な姿、すべてはこの愛の体系に組みこまれ、真実の愛という枠のなかにはめこまれたのである。

すべてを愛に集中する。そうやって、極端にすれば、わかりやすくはなる。
でも、それはぎらぎらと誇張されたものにもなりやすい。

ホイジンガが描くフランスやネーデルラントを中心とした北方ヨーロッパの風景は、すべてがあまりに激しく極端すぎる。とにかく繊細さだとか余白だとかといったものとは無縁で、子供向けのグッズ以上に原色で派手に彩られているようなイメージだ。

中世末期の文化は、まさしく、この視覚のうちにとらえられるべき文化なのである。理想の形態に飾られた貴族主義の生活、生活を照らす騎士道ロマンティシズムの人工照明、円卓の騎士の物語のよそおいに姿を変えた世界。生の様式と現実とのあいだの緊張は、異常にはげしい。光はまがいで、ぎらぎらする。

「生活の種々相が、残忍なまでに公開されていた。これでもか、これでもかと、みせつけられていたのである」とホイジンガはいう。

らい病やみは、ガラガラを鳴らしながら、行列をつくってねり歩く。教会では、乞食が哀願の声をはりあげ、かたわのさまを開陳する。地位、身分、職業は、服装でみわけがついた。大物たちは、武具や仕着せできらびやかに飾りたて、畏れとねたみの視線をあびてでなければ、出歩こうとはしなかった。処刑をはじめ法の執行、商人の触れ売り、結婚と葬式、どれもこれもみんな高らかに告知され、行列、触れ声、哀悼の叫び、そして音楽をともなっていた。恋する男は愛人のしるしを身に飾り、仲間内では盟約の記章が、党派のあいだでは、その頭領の紋章、記章が身につけられた。

しるし、しるし、しるし。
すべてが明らかさを示すサインだった。
ポジティブな側に振れるにせよネガティブな側に振れるにせよ、「すべてが、多彩なかたちをとり、たえまない対照をみせて、ひとの心にのしかかる」。その不安定な気分がそのまま、しるしとなって中世の社会を包み込んでいたようである。

すべてがひとつにつながって

「すべてが、一般性のうちに還元されるのである」とホイジンガはいう。最初にも書いたが、「そもそも人はそう簡単に自分の外にある対象を自分の中に受けとめることができない」。新たに何かを理解することが重荷であれば、過去の事例をあさって一般にすがるのは自然なことともいえる。

カール・ランブレヒトは、ここに、中世精神のきわだった特性を認め、これを類型主義と呼んでいる。けれども、これは、むしろ、人びとの心に深く根をおろしていた観念論に発する、圧倒的な心の欲求のはたらくところ、その結果として出てくる特性と考えなければならない。けっして、個々の事象のうちに特殊性をみる能力がなかった、ということではないのだ。そうでなくて、つねに、至高の存在との関係において、理想のイメージを鏡として、一般的意味に照らして、個々の事象の意味を明らかにしたいとの欲求に動かされていた、ということなのである。

「個々の事象のうちに特殊性をみる能力がなかった、ということではなかった」のは、ある意味、救いかもしれない。いや、本でさえ手書きの写本で同じものは2つとない、大量生産品のなかった中世の社会において、個々の事象の特殊性はむしろ前提なのだろう。
そういう環境でなら、至高の存在に一般的意味を求める方に精神が動くのは分からなくもない。

ありとあらゆる道徳観念が、耐えがたいまでの重荷を負わされている。たえず、神の権威と、直接、関係づけられるからである。罪という罪は、極微小の罪にいたるまで、宇宙世界と関係づけられるのである。

自由に考えなかったのではない。
ようは、個はあくまで宇宙全体とつながった一部であって、個々人が何かを自由に考えるなどということがそもそも想定されていなかったのが中世というわけだ。

中世は「世界そのものの改良と完成をめざす」という「志向をほとんど知らなかった」とホイジンガは言う。そういう社会であれば、人が志向の存在から答えを得ようとするのは自然なことだろう。

はげしい情熱の心、かたくなで、しかも涙もろく、世界への暗い絶望と、その多彩な美への耽溺とのあいだをたえずゆれうごく心には、厳格な形式主義が、どうしても必要であった。さまざまな衝動が、公認の形式のなかに、しっかりと枠づけられなければならなかったのである。そのとき、はじめて、共同生活に秩序がみいだされる。だから、自分の身の上におこる出来事、他人の事件、すべては、美しい見世物と心に映じた。喜びも悲しみも、人工の光をあびて、激情のよそおいを凝らす、そうでなければならなかった。感情をそのまま自然に表現するには、なお手段が欠けていた。美の世界に遊ぶとき、ようやく感情の描出は最高の明晰さに達し、人びとの渇望を満たしたのである。

僕らは、感情を自由に表現する手段をいくらでも持てている。まがいの光が示す美の世界を与えられなくても、自ら考え、自ら知識をつくりだすこともできる。いや、宇宙と断絶した孤独な現代人は知識をどこかから取り入れれば良いということはなく、知識を自分の中に生成する過程を持ってしか、宇宙の知を得ることができなくなっているのだ。
なのに、その行為を怠るなんて、馬鹿げた自殺行為だと気づかないのは何故だろう? いまだに志向の神の存在でも想定するほど、おめでたいということか。
こんな風に、いまとまるで違う世界を眺めてみたとき、自分たちがどう生きなければならないかということに気づくことは多い。

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