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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2020年2月の記事一覧

混合の形而上学

僕たちはどんな世界で、どうやって生きていくのだろう。 そんなことを考えてしまうとき、いま読んでいるエマヌエーレ・コッチャの『植物の生の哲学』という本になんとなく穏やかな気持ちにさせてもらっているのを感じる。 わたしたちは、こういってよければ地上の居住者ではない。わたしたちは大気の中で暮らしているのだ。 僕らは大気のなかを泳いでいる魚のようなものだと気づかせてもらったとき、世界の見え方がはっきりと変わった。 僕らは何もない空間に存在しているわけではなくて、何もないように見

静かに待ち、愛を持ち続ける

そんなことは物理学的に生じる可能性はかなり低いんだろうけど、たとえばの話で、もし仮に、何十日も継続する大地震があったらどうだろうか。 建物や道路も破壊されるような規模の地震が週に何度か起きるような状況が起きてしまう状況に置かれてしまったらどうだろうか。 生々しすぎて良くないので、イメージを変えると、ゴジラが出現するでも、メガトロンがデストロン軍を率いて地球を襲うでもよい。 ようは人間の力ではどうしようもないような禍に見舞われたとき、どういう態度が正しいのだろうかと考えさせら

だったら神を殺さなければ良かったのに

悲劇がいまほど嫌いだと感じることはないかもしれない。 死が持っているあの不安をそそる性格は、人間が不安に対して抱く欲求を意味している。この欲求がなければ、死は人間にとって容易なものと見えるであろう。人間は苦しんで死ぬことによって自然から遠ざかり、幻想上の、人間的な、芸術のために作り成された一世界を生み出す。私たちは悲劇的な世界に、わざとらしい人工の雰囲気のなかに生きている。「悲劇」がこの世界の、この雰囲気の完成された形式だ。動物にとっては何ごとも悲劇的ではない。動物は、自我

異常を排除した通常という異常

善と悪は表裏一体である。 いや、順番的には、悪が先なのだろう。悪いものがどういうものなのかが明らかになることではじめて、結果として良いものとはどういうものかを表せるようになる。『ドラゴンボール』でピッコロ大魔王が切り離されてようやく神様をつくることができたのと同じことだ。 人は、たいてい愚痴や不満をいうほうが、何かを褒めたり評価したりするよりも、やりやすい。それも同じことなのだろう。愚痴や不満はほっといてもどんどん出てくるが、で、どうなるといいの?と訊ねると案外答えはない

境界に立ち秩序を混沌へと反転する

既知の領域にとどまってみずから閉塞的な状況を生み出してしまっているのに、その状況に不満をいう。 好奇心をもって未知を歓迎しないから、限界を超えることができず、可能性が広がらない。 なのに、ジョーゼフ・キャンベルが『千の顔をもつ英雄』で書いていたような、不思議の領域に旅立ちイニシエーションを受ける神話の英雄のようには、慣れ親しんだ場所を離れようとしないから、文句を言うばかりで状況は何も変わらない。 英雄はごく日常の世界から、自然を超越した不思議の領域(X)へ冒険に出る。

新しい研究の場

まだ思い浮かんでいない、自分がこれからやりたいこと・実際したいことを見つける想像力も、その源泉となるのは知識の蓄積なのだと思う。 自分の頭のなかに十分に多様で、それなりの量のある知のアーカイブがなければ大した想像はできない。大した想像じゃなければ、それにワクワクするのはむずかしく、あ、これやりたいとはならないだろう。 自分の人生、ワクワクしたものにするためにも、やっぱり知の蓄積というのは欠かせない。 学ぶことは楽しい知らなかったことを知る。知るということは何か別の知らな

知能と限界

いまできることを前提に自分たちがやることを限界づけてしまう発想はキライだ。 そういう話を聞くと、気持ち悪くもなる。 何でもかんでも無謀なチャレンジをしろとも一切思わないけれど、やりたいと思うことがあるなら、いまできるかどうかで簡単に諦めたりしない方がよい。 どうやったらできるようになるかプランを検討してみたり、小さくチャレンジすることを積み重ねて目標に届くよう試してみた方がいいと思う。 結局、それも自分でやりたいことを作れる想像力があるかないかということとも関係しているの

やりたいことをやるためのスーツ

「スーツがないとダメならスーツを着る資格はない」 映画『スパイダーマン:ホームカミング』の劇中、「スーツなしじゃ僕はなにもできない」というピーター=スパイダーマンに対して、トニー・スタークが言う台詞。 これって、ヒーローのスーツに限らず、他にもさまざまな人間の機能拡張ツールやメソッドに対して言えることだ。 スーツの力を本当の意味で知るためには、スーツを着ていない時の自分の力をよく知っている必要がある(理論的にそうであるはずという話。だって、ヒーローのためのスーツなんて着た

他人の言葉はあなたのものではない

他人の言葉はあなたのものではない。 これ、本来は当たり前のことだと思うんだけど、現実には、結構多くの人が他人が書いたものを読んで、そう思ってた的な発言を自然にしてしまう。 「共感する」と言えば聞こえはいい。 でも、本当に最初にそう思ってたのだとしたら、何故自分が先に同じことを書かないのかという話でもある。 それに本当に最初からそう思ってたら「私もそう思ってた」なんてことをうれしそうには言わないだろう。あっ、先に言われた!くらいのちょっとした悔しさが起こる方が自然な反応では