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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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2018年3月の記事一覧

仕事の方法化

仕事を方法化するのはあまり好きじゃない。やり方を画一化すれば、結果も画一化したものになりがちだからだ。 画一化されたものしか生まれない世界って美しくないと思う。いや、もとい、そういう世界は醜い。 だから、仕事を方法化することはできれば避けたい。けれど、方法化しなくては、伝達、移転ができないという面もある。伝達や移転ができないと規模を拡大することがやはりむずかしい。 規模を無制限に大きくすることなんて醜いから、そんなことは望んではいないけど、それでもある程度の大きさは、仕事

名もない場所にあるもの

こんな言葉に真実を感じる。とても真実など、ありそうもない場所に。 美の本質とは反復可能なものでも唯一のものでもなく、美的形式において両者が同一化されるということでもない。美の本質とは両者のあいだに存在する底知れぬ深淵のこと、つまり両者を即座に廃絶することである。 イメージをめぐる、ジョルジョ・アガンベンの『ニンファ その他のイメージ論』の中の一節だ。 イメージとは本来、複製可能で反復可能なものであるのと同時に、唯一のものの表れでもあるとアガンベンは言っている。 と

イメージとしてのイメージ

イメージというものの人間的意味。 あらためて、そんなことを考えさせてくれる言葉に出会う。 「人間はイメージとしてのイメージに関心をもつ唯一の存在である」とジョルジョ・アガンベンは『ニンファ その他のイメージ論』所収の「ギ・ドゥボールの映画」の中で言っている。 「動物はイメージに非常な関心を示すが、それはイメージに騙されているかぎりでのことである」とアガンベンはいう。そして、「魚の雄に雌のイメージを見せることはできる。すると雄は精子を放出する」といった例を挙げて、動物がイメ

作戦を練るために

先日から公開しはじめた「見ることと考えることの歴史」。 これまで第1章の3つ目の記事まで公開した。 「世界がヨコにもタテにも広がって 」と題した1本目では、なぜルネサンス期に人間の思考の方法が大きく変わる必要があったのか?ということを、羅針盤の発明がもたらした航海術によって世界がヨコ方向に広がるのと同時に、ケプラーやガリレオ・ガリレイらによる天文学の発展による宇宙への視界が開けたり、顕微鏡学の発展によってミクロ世界にも視野が広がっていくといったタテ方向にも世界が拡張さ

「見ることと考えることの歴史」プロローグ

「見ることと考えることの歴史」についての本の執筆を数年前に企画し、断念した。断念はしたが、だいたい8割くらいは書き上げていたのではないかと思う。その原稿はずっと眠ったままだった。なので、これから、すこしずつここで公開していこうと思う。 まずは、そのプロローグから。 プロローグヨーロッパの絵画の歴史的変遷を現代から遡ってみたとする。その際、13世紀から14世紀の前半あたりの時代で急に遠近法が稚拙になるのを見つけて面白く感じる。さらに時代を遡れば遠近法的構図はまったく消えてな

古くなったしくみに惑わされない

昨日「中国にボロ負けして400年の衰退へ向かう日本。食い止める術はもう無い」なんて記事を読んだせいもあるかもしれない。あるいは、最近の仕事で未来の社会を考えるために、これから人びとの暮らしや仕事がどう変化するか、社会の状況がどう変わり、それに応じて社会のしくみや人びとの意識、文化や倫理観がどう変わっていくかなどといった事柄を言葉にすることばかりやっているからだろうか。はたまた、単に風邪をひいて、すこし頭がぼんやりしているせいもあるだろう。 『ゲーテとの対話』のなかに、ゲーテ

わからない時ほど計画を

仕事をする際に計画を立てること。 何をいつ誰がどのように行うかを、何故その仕事をやるのかという目的にしたがって計画立てること。 この計画があるのとないのとでは仕事のスムーズさが違う。時間効率的にも、予算の適切な使い方においても、コミュニケーションにおいても、余計な問題が起こったり想定外の仕事が増えたりということを少なくする点においても、仕事の質を上げる点でも。 計画というのはある種シミュレーションだ。 どんな手順で、どうやって誰といつ仕事をするか、どんなツールを使うか、い

デッサンからの革新

正しくやろうとすることも大事だが、いまの時代、チャレンジが求められることは多い。無難な答えが出ることがわかった振る舞いばかりする人よりも、何か新しいものが生まれるかもしれない実験的な振る舞いを選ぶ人の方が社会的にも求められているのではないだろうか。 もちろん、単に無謀だったり、考えなしの悪ふざけは、チャレンジとか実験とかとは違う。その行為をする意図はあってほしい。その意図どおりになるかの違いが保守的すぎる振る舞いとは異なるだけだ。 だから、実験的なアクションは、通常、答え

正しさを前提としない

世の中には2つのタイプがいる。 正しさを前提として議論をする人と、決まった正しさなどはないからその前提で議論の中で何を選択するかを決めようとする人と。 僕は明らかに後者だ。 正しさというものを前提にしようと思うことはほとんどない。何かを決めなくてはいけないのだとしたら、その取り決めに影響がある人、責任を持つ人で話し合って決めればよいと思ってるし、話し合って決めるしかないと思ってる。その話し合いにおいて基準になるような正しさなんてないと思っている。 それは多神教の国の人だか

会話の中での聞く力

これからの仕事においては、会話力がよりいっそう大事なビジネススキルになると、ひとつ前の「会話とチームワーク」で書いた。 そして、会話の中で、自分が話すことと同じくらい、他人の話を聞く力も大事なことだと指摘し、次回はそれについて書くと予告しておいた。つまり、今回だ。 という本題に入る前に、もう一度、前提を確認しておこう。 会話力が大事になる前提として、まず、これからはひとつの目的に向かってプロジェクトを進めるチームを結成する際、従来のように、ただたまたま同じ組織や部署に属し

会話とチームワーク

仕事の場で、ちゃんと話をする力。 誰かといっしょに仕事をして、成果を出そうとしたら、会話を通じて仕事を前に進めていく力は欠かせない。 これまでなら、会社の中のいつもいっしよにいる同じ部署の人たちと主に話してればいいという、そんな世界もあったかもしれない。 けれど、どこもかしこもイノベーションだ、と新しいものを生みだすことが求められる世の中では、誰かが作った計画に乗って安穏と受け身であてがわれた仕事を黙々とこなせばいい立場の人はどんどんいなくなる。ルーティンでまわせるそういう

チームビルディング

仕事をする上でチーム作りって大事だなと、あらためて今日思った。 人ってそもそもモチベーション次第で仕事のパフォーマンスはがらりと変わるけど、じゃあ、そのパフォーマンスを高く保つキーは何かというと、チームの関係性だとか、雰囲気なんだと思う。 互いに、いい仕事をし合って全体のクオリティを上げるには、互いが信頼し合って、言うべきことをちゃんと言えたり、それぞれが積極的に自分の仕事を作り、互いに刺激になるような提案をし合う環境をいかに作るかだと思う。 人間関係のストレスのない環境

届かない言葉

感じていることを言葉にしようとする時に、うまくぴったりはまる表現がないと感じることがごく稀にだが、ある。 まったく表現を思いつかないという話ではない。いろんな言い方で感じてることを言葉にすることはできる。いや、むしろ、言葉はいくらでも出てくる。それなのに、どんなに言葉を重ねても言い足りないような、ちゃんと真意を言い表せていないような、そんな気持ちになるケースがあるという話だ。本当にごく稀なことだが、そんな風な思いを感じるケースがある。 いつまでも届かない言葉いろんな言葉で

読みやすさについて誤解されていること

考える力には、言葉を操る力が不可欠だ。 で、その言葉を操る力には2つの側面がある。 文章という形や口頭での話言葉の形で自分の考えや主張をひとまとまりの言葉として組み立てる力がひとつ。 もうひとつは、文章を読んだり話を聞きとったりする力だ。 関連するところもあるが、それぞれ独立してもいる。読んだり聞いたりの方は、自分の文脈とは異なる、相手の文脈を予測する力が必要だから。 この他人の文脈を読みとるのが苦手で、聞く力、読む力に欠ける人は少なくない。 でも、これは経験なので、卵が