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小さな違いが大きな問題となった例

学生時代、『ジアス』というあだ名の先生がいました。

そうです。愛称ではなくて、あだ名です。なので、本人の前で言うことは絶対になく、先生のことを表す時に仲間内だけで『ジアス』と使ってたんですね。

で、その『ジアス』の語源なんですが、“パンチラジアス”から来ています。

パンチラジアスというのは、機械加工の学術の言葉でして、鉄板などをパンチ加工する時に発生する、せん断面の応力の事を指します。要は、紙や資料の穴をあける時に使うパンチの金属バージョンみたいなものです。

ぼくは工業系の学校に行っていたので、この『パンチラジアス』という超マニアックな言葉に出会ったというわけなんですね。

まあ、そこまでは別にいいんですよ。

ですが、そのパンチラジアスなんですが、正式な読み方は『パンチ・ラジアス』となります。そもそも言葉自体が英語なので、ワード的にもパンチ・ラジアスが正解です。

ですが、その機械加工の先生は、なぜか講義中にずっと『パンチラ・ジアス』と言ってたんです。

もちろん、その先生はユーモアの溢れるタイプの先生ではありません。朝だろうが昼下がりだろうが夕方だろうが、常に一定のリズムで淡々と講義をこなすような、どちらかというと職人タイプの先生でした。

なので、本気の本気で生徒に教える一心で授業をやってたと思うんです。「機械加工の世界では常識だから、この子たちには正しい基礎を知ってもらいたい!」と願いながら講義をしてたと思うんです。

ですが、なぜかイントネーションが『パンチラ・ジアス』だったんですよね。

なので、その姿勢と言葉のギャップに強いインパクトを覚えたぼくたちは、敬意を表して彼のことをいつの間にか『ジアス』と呼ぶようになったんです。

けど、これって言ってしまうと、小さな差から生じた大きな問題です。

先生もぼくたちも、見ているものは全く同じ。それでいて、捉えているものも全く同じ『パンチラジアス』なんですよね。

ですが、受け取る印象は、両者によって大きく違ってるんです。

そしてこれは、社長や経営者でも同じことが起こることが多々あります。たとえば、業績をあげるための指標として、LTVを意識することになったとします。

なので、社長を筆頭に社内が一丸となってLTVの追及をおこなうようになりました。ですが、社長はLTVのことをずっとLTBに聞こえるようは発言をします。

本当はLTVなのに、ワードとしてもLife Time ValueでLTVなのに、朝礼とかミーティングとか個別の会話とかで、とにかくLTBと連呼します。たぶんおじいちゃんなので、うまく発音できないのでしょう。

こういうことが起こると、たとえ必要性やその意味が共通認識されていたとしても、社内の指揮はどんどんと下がっていきます。

そして、これの恐ろしいところは、本人も気付いているけど「まあ、これくらいならみんなわかってくれるよな」と、軽視してしまうところにあるんです。

たしかに、みんなわかっていますよ。ですが、それよりも問題になってるのは、「社長って本当にLTVのこと知ってんのかな?」という、社長本人に対する猜疑心がでてくるところにあります。

言葉の発音1つでも、大事な局面だと大きな問題となります。

ぼくもよくやりがちなんですけど、重要なワードほど細かいところまで配慮していきたいと思います。

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。