イエスマン生活6日目。初めての「ノー」で気付けたこと
どうも、じんせいサンドです。
今日で早くもイエスマン生活も6日目です。
職場では3日目です。
今日はイエスと言い切れない状況があったので、自分の中では消化不良の1日となってしまいました。
イエスマン生活6日目
イエスマン生活も今日で6日目なので、だいぶ板についてきました。
何か頼まれたり相談事なんかは、全てためらいなく「はい」と答えられるようになりました。
断らないようにすると多くの情報に触れることにもなることが分かりました。
これについては、詳細は下部で書こうと思います。
今日新しく気付いたことは、
ためらいなく返事することで相手に安心感を与えられるということです。
これは、ためらいがなければ無い方がその効果が大きい気がします。
むしろ、相談やお願いをする人の気分も高揚させることにも気付きました。
人にお願いや相談するときは、誰しもが小さな不安を持つものです。それに対して、ためらいない返事が来ると嬉しいですもんね。
ためらいのない「はい」は、雰囲気を明るくするので、結果として断るつもりのないものについては出来る限り不要な間は必要ないと思いました。
初めて「はい」と言えなかったことがある
今日は、珍しく人と会う約束をしていました。
しばらく体調を崩していて、職場を離れていた同僚です。
その人と会うのは半年ぶりくらいでした。
そんな中、他の方からご飯に誘われました。
ここでイエスマンであるはずの僕は「はい」と答えるべきなのですが、
「はい」と答えられませんでした。
その代わり、その方に別日を提案してしまいました。
ここで思ったのは、先約がある際にイエスマンでいつづけることは正しいのか?ということです。
個人的な社会実験なので、誰からも咎められるようなものでもないですし、守らなかったところで誰かに謝罪する性質のものではありません。
しかし、自分の決めたことを守らなかったことは、僕の心に引っかかりました。
量子コンピュータでもない限り「はい」「いいえ」のどっちが良かったかなんて判定することは出来ません。
ただ、「はい」と答えられなかった自分がもどかしい気持ちだけが残りました。
ここで、終わらないのがイエスマン生活の良いところです。イエスマン生活中に、断ったことで感じたことがあります。
それは、「誘っていただけるありがたさ」です。
間違いなく普段よりも強く感じたのは確かです。
イエスマン生活なのに断ってしまったことと、断らない選択はどちらが正しかったのかは、いつか分かる時が来るのかもしれませんね。
イエスマンは多くの情報に触れられる?
答えは「はい」だと思います。
「はい」と答え続けることで、相談する人のハードルはどんどん下がります。すると大なり小なり色々な情報が集まってくることになります。
この情報は不要なものも含まれるかもしれませんが、もしかしたら将来に役立つ情報に化けるかもしれません。
情報収集は、仕事をする上で重要な要素だと思います。さらには、得た情報を周りに共有をすることで人の情報格差を埋める活動を続けていくで、自分に情報が集まってくる好サイクルを作ることができるとも思います。
イエスマンの最大の魅力は情報通になれることかもしれないと思いました。
6日目の学び
・ためらいのない「はい」は場を明るくする
・ためらいのない「はい」は情報を集める
・断ることで誘いの「ありがたさ」が増す
普段ちょっとした損得感情で判断している意思決定も確かにあります。その意思決定に対して意味付けができたことは6日目にして初めての発見でした。
また、ためらいのない「はい」は駆け引き抜きで場を良くすることにもつながることも学びになりました。
あと1日、イエスマン生活は残っています。
今日よりも大きな学びを得られるかもしれません。
明日も張り切って「はい」と言い切りたいと思います。
では、また。
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