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年齢という呪いから自分を解放できるようになってきたはなし

唐突だけれど、わたしは今の自分が嫌いじゃない。
ダメなところはたくさんある。ズボラだし、ものぐさなところもあるし、もっとしっかりしたほうがいいなと思うことは多々あるけど、まぁ気に入っている。

でも、自分で自分のこと結構すきだなと思えるようになったのは割と最近のことだ。

社会人になり、営業を担当していた当時、若さ、初々しさは武器にも足枷にもなることを知った。
営業先の社長から「若いね」と言われて、その裏にある真意を汲み取れた。褒められていることもあれば、バカにされたり、残念がられることもあった。
自分がしっかりしてないように見えるから、早く落ち着いて見えるように振る舞ったり、教養を身につけなければならない、と取り憑かれた。

26歳の誕生日を迎えたときは漠然と不安になった。
落ち着いて見られるようになったものの、思っていたような大人になれない自分、これから先どうすればいいか見えない自分、なんとなくあと2年以内には結婚したり子供産んだりしないといけないのかなと焦る自分に。
あと、職場でばばあって呼ばれるようになったこと。笑っていられたけど、何も思わなかったわけじゃない。

29歳になってからは、ひどく中途半端な気がして早く30歳になりたかった。キリのいい数字だし、何か変わるかもと期待感もあった。
今では何の意味もないことだとわかるのに。

何歳?と聞かれて答えると、
うわばばあじゃん、と言われることもあれば、
大丈夫大丈夫まだ焦る歳じゃないよ、と励まされることもある。

わたしは自分の年齢を言っただけだし、
みんな毎年、年は重ねるでしょうが。

それも最近は少しずつだけど、いちいち気に病むことは減ってきた。
この人が何言ってもわたしの人生に責任取ってくれたり、ドラマティックに変えてくれるわけでもないしなぁ、と思えるようになった。

理由は、あんまりわからない。
好きなように化粧して、好きな服着て、なりたい髪型にして、というのもあるかもしれない。
もしくは、ポジティブなことを話してくれるひととしかなるべく付き合わないようにしてるのもいいのかも。

もちろん今の自分にめちゃくちゃ大満足ではないけど、今日もまた生きてるし、自分の機嫌を取れたし、間違わずにゴミを出せたりした。
偉かった、わたし。

これから先もどこかで誰かから、呪いみたいなことを言われるかもしれない。
だけれど、年を重ねるごとに、その呪いから自分を少しずつ解放できるようになってきている。

それにやっぱり誕生日には、何歳になっても、おめでとうって言われたら嬉しいものだ。
まだ4ヶ月以上も先だけれど、自分の32回目の誕生日をワクワクしながら待っている。

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