石破と野田に共通する、非主流保守の周到さ

 各種マスコミの世論調査をみても、自民党という戦後日本の中枢で君臨し、政治を牛耳ってきた政党の問題点浮き彫りに成ると、国民の目を欺くべく代替案として出てくるのは、石破野田という、自民党主流派とは距離をおき、一見違うように見せながら、その本質は、利権と強欲と不正にまみれた、親米金融株式資本主義にどっぷり浸かった、代替要員保守にすぎないのは、このときのためにこそ、彼らは準備されているからであろう。

今まで通り、おそらく国民の5%にも満たない階層の豊かな暮らしだけを守りたい、血族的な既得権益層と、その周辺でうろつくことで、財を成すことこそ成功と考える、哀れな多数の取り巻きにとっての救世主であろう、彼らのような、非主流保守という存在が、政権与党でも、野党第一党でも、次のトップとして人気を集めるのを見ると、法的建て付けがどうであれ、少なくとも日本の政治権力に関わる政治の世界とは、ただのプロレスでしか無いと思わざるを得ない。

つまるところ、私達日本の国民は、本当に民主的な野党を作り上げることも、育てる意思もないのである。そして、そんな社会革命など、絶対にできないように、日本という国家はすでになっているのだ。

つまりそれは、統一教会という明らかに非合法な手段で会員を集めてきた新興宗教団体であり、維新のように、元はガラの悪さを売りにした、TV向け芸能人弁護士を神輿に担ぎ、吉本という、権力に媚びることでお笑いという風刺芸能をビジネスとして成功させた、芸能人をうまく使って宣伝し、地方の政治権力を牛耳った新興保守政党のように、自民党の危機により、政治による社会変革が起こりそうになれば、常に、彼らの利権を護る別の保守層がどこからか飛び出してきて、あるいはうまく利用され、使い捨てにされ、あぶくのように消えていくのだろう。



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