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次は何に産まれましょうか

割と私は「占ってもらう」のが好きなタチである。「占い」が好きな女性は多いと思うが、私が思うに3つに分かれる。

・「とりあえず私のことをわかっていると言ってくれ」

一つ目がこのタイプである。世の中にどれくらい見える人がいるかはわからないが、似非占い師だとしても曖昧模糊なことを言っておけば、「この人は視えている」と吹聴してくれる一番オイシイ客だろう。まさにwin-winの関係である。

・「未来が知りたい人」

これは、色恋沙汰がどうのとか、転職がどうのとか、に対してとりあえず「良い未来が待ってますよ」と誰かに言って貰いたいという願望から占いに走るタイプである。

そして最後一番タチの悪いタイプがある。

・「で、どうすればいいって?」

このタイプは鑑定される際にわざとあまり自分の情報を開示しない。「だって視えてるんでしょ?あなたはズバリこういう人ですとかいいから、自分がどうすればハッピーエンドが迎えられるのか言ってよ」というHOWTOを聞きたいタイプの人である。さぞや面倒くさいことだろう。このタイプは「あ、こいつ似非だな」と思ったら「はいはい、わかりました、そーしまーす。」ってな具合に塩対応でその場を後にする。

三番目だけ詳しくなぜわかるか。言わずもがな自分が三番目のタイプだからである。当たった人に対しては感謝の念を送るが、塩対応し始めると、とってつけたように占い師の鑑定フォローが入るので、余計に興ざめする。じゃあ占い師に見てもらわなきゃいいじゃないって?なんだかんだ言って未来が当たったら素敵やん?

もう一つ占い師の鑑定にあたって楽しみにしていることがある。

時々、「前世、守護霊が視えます」とさらりと言ってのける占い師がいる。私は輪廻転生とかそういった知識には疎いのだけど、私が神ならなんとなく新しいものを作るのは面倒だしエネルギー効率的に悪いから、リサイクルさせるだろうなーと思うので、生まれかわりはアリだろうなと思っている。聞いたところで、「ああ、そうだった前世あいつだったわ」とは思わないのだけど、前世について尋ねると毎回面白いことが起きる。

「修道士」「霊能力者」「イタコ」「依り代」「霊能力者」

何度も言うがその答えに「そうか!」とは思わないのだけど、大体当ててくる占い師はこのどれかを答えるので、「全世界占い師情報共有掲示板」でも存在しない限り、当たってるのかなと思うようになってきた。下手すると、「別にあなた占い師に見てもらわなくても視えてるんでしょ?」と謎の質問をされることもある。しかしなぜそんな宗教家の類が、なんなら超能力の一つくらい継承しても良いようなものを私のような凡人に生まれ変わったのか。謎である。

先日、自分の困りごとを話した際、「あなたが今悩んでいたことは、今まであなたが他の誰かにやっていたことが返ってきた場合もあるけど、前世からの因縁ってこともあるのよ」と言われた。質問するにはナイストスである。「じゃあ私は前世なんだったんです?」と質問を返すとその占い師はケラケラと笑って、「よくテレビで有名人の前世が特別な存在だったとかを見て、私に聞いてくる人がいるけど大抵は一般市民とか虫とか家畜よ」と答えた。

「いや、別に特別な存在でありたいとかは思わないんですが、悩み事の原因がそこだったら、どうしようもないなと思って。」

「じゃあ見てみるわね」と言った後、その占い師はむにゃむにゃと言ったあと、手の平を返すように、「あなた、あの修道士(名前は伏せます)だったのね!」と興奮気味に言った。

「えええ。そんな神様に身を捧げてるような性善説の人が因縁とか持つんですか?そしてなぜ私がこんな目に?」

「その人、昔迫害されていたことがあって、周りといざこざがあったみたいね。wikiにも載っているわ」

それを聞いて「だったら今、楽したいなあ」とぼんやりと考えたが、その後に恐ろしい考えが脳裏をよぎった。

「来世の人が前世を気にしたらどうしよう」

もし、今の私を前世として見てもらったら、

「持病が脱臼と不眠症の瞬間湯沸かし器ジャパニーズ(時々夢遊病)」

と鑑定されてしまうことだろう。恐怖である。寧ろ死よりも恐ろしい。出来れば、来世の人はそんなことに興味を持たず、EASYモードで頭の中がお花畑の子に育って欲しい。

そのためにはどうするべきか。因縁である、因縁とやらを残さなければ良いのだ。人生の通信簿で5とは無理でもオール4くらいは取っておく必要がある。そう考えたら気が重い。私自身に課題が多すぎる。前世の奴が残した宿題が忌々しい。絶望である。

絶望を噛み締めた後、私はベッドにゴロンと横になりずんの飯尾の真似をしながら現実逃避し、ふと思いついた。そうだ、長生きしよう。長生きして猶予期間をとりあえず伸ばせば死ぬ頃には何とかなっているかもしれない。目の前が何となく明るくなった。

次は何に産まれましょうか?きっと風にでもなるのでしょう

真夏だというのに今日は風が強く案外涼しくて心地よい。ベランダに出た際、なんとなく星野源の歌詞が口を突いて出た。そして、8月の頭、真夏の夜。宿題を先延ばしにする小学生の気分を久しぶりに味わった。

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