見出し画像

【ためスモインタビューvol.3】日本酒で世界はもっと美味しく味わえるーー玉旭酒造当主・玉生貴嗣さん

「おわら風の盆」

富山市八尾(やつお)町で300年以上の歴史をもつ「風の盆」は、毎年9月1日から3日に行われる行事です。町中のボンボリに火が灯り、浴衣や法被に身を包んだ踊り手たちが編笠を被って町を練り歩きます。三味線、胡弓の音にあわせて、歌い、踊る3日間です。

わずか2000人ほどの町に、約20万人の観光客が訪れるほど、人を魅了するこの行事。2020年の紅白歌合戦では、東京事変がおわら風の盆をモチーフにしてパフォーマンスを披露したことで、さらに注目が集まっています。

画像1

©︎とやま観光推進機構

そんな八尾のまちに、200年以上続く酒蔵があります。今回は、その玉旭酒造・十三代目当主の玉生(たもう)貴嗣さんにお話を伺いました。

***

◎跡を継ぐ気は全くなかった

玉旭酒造㈲店頭写真

ーー玉旭酒造は、200年以上の長い歴史を持つ酒蔵ですよね。跡を継がれることにプレッシャーはありませんでしたか。

実は、跡を継ぐ気は全くなかったんです。別の道に進むべく大学で勉強していました。しかし、在学中に祖父が他界しまして。当時は今の3分の1くらいの売り上げだったこともあって、父が「日本酒づくりをやめて、駐車場にしようと思う」と。

ーー廃業のお話が出ていたとは驚きです。

生まれ育った場所が駐車場になって、帰るところがなくなるのは寂しいと思い、キャリアを180度変えて3年間広島で日本酒づくりを学びました。2000年にUターンして跡を継いだのです。

今では売り上げが3倍になって、観光バスを停めるために駐車場を増設するにまで至りました。この酒蔵が駐車場になっていたかもしれないのに、です。

◎日本酒で世界はもっと美味しく味わえる

玉旭酒造㈲ 玉生  貴嗣

十三代目当主の玉生(たもう)貴嗣さん

ーーどんなお酒造りにこだわっておられますか。

「日本酒=和食」のイメージがあると思うのですが、日本酒を和食以外のお料理にも合わせてほしいという願いから、20年前から”和食には合わないお酒”もコツコツ開発しています。イタリア料理、スペイン料理、中華料理に合わせると、より料理が美味しくなるような日本酒を作っています。モットーは「日本酒で世界はもっと美味しく味わえる」です。

跡を継いだ時は12〜13種類だったアイテムは、今や30〜40種類になりました。しかも当時は、アイテムのほとんどがお土産商品だったんです。

ーーお土産商品と言うと?

「おわら◎◎」という名前で、おわら風の盆に来られた観光客に特化した商品づくりをしていました。でもそれって、そのお酒の味が好きで買うわけではないですよね。富山に来たから、八尾に来たからパッケージを見てなんとなく手に取るもの。そんなお酒造りは嫌だし、何より作り手である自分たち自身が楽しくないんですよ。

いつかは「この味を作っている酒蔵を見たい」と、全国各地、世界各地から八尾に足を運んでもらえるようなお酒を作りたい。どんな人がどんな場所で、どんな人たちに支えられて作っているのかを知りたいと思ってもらえるようなお酒造りがしたいんです。

ーー新しいことに挑戦されたきっかけは何だったのでしょうか。

2003年ごろに、とある観光客の方がお店に来て「このお酒はどんなお米を使っているのか」と尋ねられたのです。当時使っていたのは、兵庫県産の山田錦。コンクールで入賞ためのお酒造りには欠かせない、酒米の一級品です。

しかし、その説明を聞いてお客さんの顔が曇りました。兵庫県からのお客様だったのです。「それならいいわ」と買わずに帰って行かれました。

その時、「このままじゃいけないな」と思ったんです。誰に言われるよりも、どんな本を読むよりも、衝撃的な出来事でしたね。富山の地酒を名乗るなら、全て富山県産であるべきだと痛感しました。それから、お水もお米も富山県産にし、作り手である杜氏も富山県人にしました。

ーーとことん、「富山県産」であることにこだわっておられるんですね。

◎おわら風の盆とともに歩んできた

画像4

ーーかつて、八尾には多くの酒蔵があったそうですね。

はい。現在では2つに減ってしまいましたが、この小さな2000人ほどのまちに6蔵もの酒蔵があったんです。これだけお酒造りが盛んなのには2つ理由があると考えています。

一つは、江戸時代に養蚕業で栄えた町であるということ。それに伴い、飲み屋街が栄えたのでお酒が必要とされたのだと思います。そしてもう一つは、お祭りがあったから。お祭りを大切に守る町民がいる文化と伝統が根付いた街だからこそ、我々の職種が存続してきました。

ーーこれからの展望をお聞かせください。

八尾という町に、恩返しをしたいと思っています。酒造りだけじゃなく、まちづくりに貢献したい。コロナ禍で昨年はおわら風の盆が中止になってしまいました。そんな下向きな時代だからこそ、地域の人たちと共同で新しいことを立ち上げたいと思っているんです。実は、まだオフレコのプロジェクトも始動しているんですよ(笑)。

それは、常々地域に「恩返しをしたい」と思っているから思いついたことなんですよね。

ーー八尾には新しくゲストハウスができたりと、新しい動きが起きていますよね。

八尾町でゲストハウス「越中八尾ベースOYATSU」などを経営している原井さんとは飲み仲間で、よく夢を語り合うんですよ。

ゲストハウスに来られた人に酒蔵を訪れていただき、日本酒を楽しみながら街歩きしてもらおうと企画しています。「9月になると、おわら風の盆でこの道は人がひしめき合うんですよ」「越中八尾曳山祭の時には、この曲がり角は山車を豪快に引き回すんですよ」と語りながら、街歩きもお酒も楽しんでもらいたい。

さらに、空き家を改装して居酒屋も作ってみたい。普段使いの居酒屋を作れたら嬉しいです。

ーー身近に夢を語り合う存在がいるって、素敵なことですよね。

おわら

おわら風の盆©︎とやま観光推進機構

ーー八尾を訪れる方に体験していただきたい「八尾」を教えてください。

僕は一緒に酒を飲むことと酒造りの苦労話しかできませんが「もし、八尾に来て夕飯に迷ったら玉旭酒造に来られ(来てください)」と言いたい。

僕の馴染みの居酒屋にいくと、大抵そこにはおわらや曳山を知り尽くした地元のプロたちがたくさんいるんですよ。観光で訪れる場所で、地元の人と触れ合うことってなかなか難しいじゃないですか。僕が、その橋渡しをするホスト役になれればいいなと思っています。

ーー移住には、地域のコミュニティでうまくやっていけるかという不安がつきものですもんね。

年配の方とも仲良くなっていただき、顔をつなげて、ゆくゆくは「こういう人たちがいてくれるなら頼もしいな。八尾に住んでみたい」と思ってもらえるようにしたいですね。

今年で玉旭酒造は213年目を迎えます。この土地でこれほど長い間お酒造りをできているのも、町内の人、そして八尾を愛する町外の人たちのおかげ。少しでも恩返しできれば嬉しいです。

***

地酒一覧

玉旭酒造の代表酒は「おわら娘」(富山県の地酒©︎とやま観光推進機構)

日本酒を片手に、八尾の文化・伝統について聞き、夢を語らう。そんな贅沢な時間が、あなたを待っています。

「おわら風の盆」が好きなら。
お酒がお好きなら。
伝統的な街並みで暮らしてみたいなら。

一度、富山市八尾に足を運んでみてください。ためスモパートナーは、皆さんの滞在を全力でサポートいたします。

<今回ご紹介した ためスモパートナー>
玉生貴嗣(たもう・たかつぐ)さん
富山県富山市八尾(やつお)出身。八尾で213年続く酒蔵、玉旭酒造の十三代目当主。広島で日本酒づくりを学び2000年にUターン。富山の高山植物から発見した酵母を使ったお酒造りや、富山県産の米・水を使ったお酒造りなど、「富山の地酒」であることにこだわっている。玉旭酒造の代表銘柄は「おわら娘」。おわら風の盆で踊ることができるのは、26歳未満の未婚の女性。「ずっとおわらを踊ってほしいけれど、嫁に行って幸せにもなってもらいたい」そんな親心を醸したお酒になっています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?