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「自分で見たことのない作品」をつくるために ─ 自然とエロス、崇高さと下世話さ/ペインター・辻孝文へのインタビュー

辻孝文は岡山を拠点に活動するペインター。

最近は岡山駅南地下道チョコレート店alferで絵画を展示しているほか、ル・ポール粟島では車へのペイントを手掛けるなど幅広く活動しています。

そんな彼に迫るインタビュー企画。「自然景」と「Flowers」の2つのシリーズから、次回作の展望まで伺いました。

「自然景」シリーズ

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辻孝文 「明ける先は」(2011)

これは2011年の作品で、「明ける先は」といいます。東日本大震災があったあと、「これはなにか作品に残しておきたい」と描いた絵です。

ここに描かれている島は日本です。海の向こうにかすかな光がありますが、「はたして夜が明けた時にどんなふうになっているか」という不安と、不穏な空気感が漂っています。そんな状況下にありながらも、か細い植物は生きていています。

震災当時は岡山にいて、テレビで情報を知るのみでした。

「なになになになに?なにがおこっているの?」
「やばいやばいやばいやばい...」

そんな感覚でした。

絵はファンタジックで幻想的な雰囲気です。しかしこれは現実と向き合わず逃避する世相への皮肉でもあります。不安に包まれたあの時代の「その先」はどうなったんだろうか?いま振り返る意味があるかもしれません。

2010年から2011年ごろにかけて、この「自然景」の連作に取り組んでいました。いくつか受賞したり展示機会に恵まれたシリーズでもあります。

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辻孝文 "hakoniwa" (2013)

フィンランドの大自然で気づいた、地球と人間の関係について

2011年にトーキョーワンダーサイトで個展を開催したあと、フィンランドでのレジデンスが決まりました。

「行きますか?」

「行きます!!」

というノリでしたね(笑)当時はフィンランドが北欧にあるくらいの認識しかありませんでした。

2012年9月に現地に到着したとき、まさしく自分の絵のような世界観がそこにありました。ムーミンやサンタクロースでおなじみの国ですが、まるで絵本の中にいるような、そんな幻想的な風景が広がっていました。

お世話になったSaari Residenceは、レジデンスの施設以外は「森!!!!」という立地。ネットや電話も限られた場所でしか通じない環境下で、することも散歩くらいです。

通常、アーティスト・イン・レジデンスでは滞在中に作品を作って発表することを求められます。しかしこのレジデンスは「発表したければどうぞ」という自由な感じで、2か月の間ただ現地を満喫していました。ぼくの場合は、当時の画風自体にフィンランドのような世界観があって、もはや完成しかけていた節もありました。

滞在中には小さなスケッチを描きためて、日本に戻ってきてから作品として完成させていったのが「自然景」の作品群です。

フィンランド滞在中は、レジデンスに居候していたわけですが、人間は、地球という大家さんのもとに居候させてもらっているだけなんだなということを強く感じたんです。人間が地球を支配している感覚がありますが、地球がめちゃくちゃいい大家さんで、ほとんど怒られていないだけなんじゃないかと思うんです。

そう考えると、人間はめちゃくちゃ横柄な住人ですよね。自然を切り開き、核開発のようなこともしている。でも、やさしい大家さんはただ掃除をしてくれているだけなんですよね。

誰を主体とするかでとらえ方は変わります。たとえば災害も人間にとっては悲惨な出来事ですが、地球目線で見ると「お掃除」の一環と見ることもできるわけです。

花による「エロス」の表現

2019年に描いたFlowersという作品シリーズがあります。花をオールオーバーに描いた絵で、単に花を描いたというよりも「お花畑」の表現になっています。

時に花は性器のメタファーとして描かれてきました。このシリーズでは、ぼくなりに「エロス」の表現を試みています。

「人間の営み」をずっとテーマにしているのですが、「エロス」はまさしくその代表格です。美術史的にもずっと取り組まれてきた対象であり、自分ならどういう切り口があるだろうかと考えていました。

男性器!乳房!という直接的な表現もアリなのかもしれませんが、すこし違う感じで、じつはエロスの表現になっている、という描き方をしたかったのです。というか、おっぴろげにエロをやる勇気がなかった(笑)

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岡山駅南地下道での展示(2020年10月)

お花自体はキャッチーなモチーフですし、見た目もキャッチ―に描いています。そこで作品の背景について知ると、そのギャップも含めて「あーなるほどね、ふーん」となるのではないかと思っています。求められているのは「あー」なんです。

「エロス」は西洋と日本とで少し異質なものだと感じています。「エロス」の語源はギリシア神話の「愛の神」です。西洋文化における「エロス」は崇高性を基とする概念であるのに対して、日本語ではただのエロというか、「エログロ」という単語があるように、下世話で下品なものとしてとらえられています。

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ステンシル

ぼくはもともと、グラフィティやストリートアートに近い立ち位置でやってきました。ファインアートの活動のみならず、野外フェスのデコレーションや壁画、最近は車へのペイントも行いました。

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そもそも美大に行っていません。高校はデザイン科でしたが、その後進学したデザイン専門学校は途中で辞めています。
色の塗り方とか、自分でやればよくね?学費は高いし。
って思っちゃったんですよね。

それから自分で作家活動をはじめて、トーキョーワンダーウォールやトーキョーワンダーサイトで賞をもらったり、海外のレジデンスに参加したり、といったところからキャリアをスタートしました。

Flowersの作品は、美術史を踏襲したアカデミックなやり方よりも、前々から興味があったステンシルを使ってやってみようと作ったものです。

ステンシル
広く孔版の意味で使われる版画技法のひとつ。フランスではpochoirと呼ばれる。合羽板とも言う。金属や防水性の素材に文字や模様を切り抜いて紙や布の上に置き、上から絵の具・インキ・染料を刷り込み、抜かれた孔の部分を染色する技法。ステンシル技法の特色は、単純明快な輪郭と均一な色面が得られることである。(岸弥生「現代美術用語辞典 1.0」。

言われなければ「ただチューリップが並んでいる絵」ですが、言われたら気づくことがある、という絵です。ふだん表立って出てこないような裏側、暗い側面にこそほんとうの姿があるのではないかと思っています。一見シンプルに見えるステンシルによって、そのことが際立つのです。

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断片的な記憶を1枚に縫い合わせる

じつは最近、また「自然景」のシリーズも描きたいなと思っているんです。ぼくの場合は、自然景シリーズとFlowersシリーズがまったく違うように、作風がコロコロ変わりがちです。ほかにも、キャンバスを編み込んだ作品シリーズなど、いろんな種類の絵があります。

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辻孝文 "before normal starts"

2枚の絵を描いて、切って、編み込むという作業をつうじて、さまざまな出来事や記憶が絡まりあった表層をビジュアル化した作品です。そんなコンセプトなのですが、じつはまだ少し引っ掛かりがありました。

このアイデアをさらに発展させる次回作のイメージとして、これまで描いてきた異なる作品群をパーツとしてミックスし、パッチワークのようにミシンで編み込んで1つの作品にしていくことを考えています。記憶は断片でしかなくて、それを縫い合わせていくことで意味をなしていくと思うんです。

たとえばさっき一緒にご飯を食べたんですが、ご飯を食べる前のことはよく覚えていないんですよね。1日のことを思い出すとき、記憶にはノイズが混じってるものです。記憶をビジュアル化することは、ピースを編んだり、パッチワークにすることに似たものなんじゃないかと思いました。

そんな意味で、しっかり描きこんだ作品だけでなくラフスケッチやドローイングも組み合わせた作品を、今年中にはひとつ作りたいと考えています。

自分で見たことがない作品を作りたいんです。新しい発想はほとんど出尽くしているので、どうしても足し算的になってしまいます。それでも自分で作った作品にたいして「なにこれ!?」となるのが一番楽しい。それが一番難しいんですがね...!

辻孝文  ペインター。1985年生まれ、岡山県在住。絵画を中心に、壁画や車へのペイントプロジェクトなど幅広く活動を展開。
トーキョーワンダーウォール公募 2010「トーキョーワンダーウォール賞」ほか受賞。フィンランドでのアーティスト・イン・レジデンス経験を経て、国内外で活躍している。


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