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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『「現代優生学」の脅威』池田清彦著~

<<感想>>
病気が不安を呼び、不安が差別を生む。
病気による「不安」を社会的弱者に強引に関係づけるとともに、さらにはそれを「社会にとって有益かどうか」という視点に変換させ、様々な形で人間性を無視した政策を実施してきた負の歴史を反省・分析しながら、現代も依然として残る優生思想に対する懸念を示している著書である。
優生学には「消極的優生学」と「積極的優生学」がある。
消極的優生学は「望ましくない形質または遺伝的欠陥を伝達しそうな人々の生殖を規制しよう」とするもので、ナチスによる障害者・ユダヤ人の虐殺や、日本でのハンセン病患者への隔離・断種政策はその代表的事例である。
一方、積極的優生学は「すでに生まれた人間ではなく、生まれる前の段階でなんらかの操作を加え、優秀とみなされる資質を備えた人間を多く生むようにする」というものである。アーリア人増殖のための福祉的施設であるナチスの「レーベンスボルン(生命の泉)」などがある。
 
ナチスの事例は「特殊な時代の、極端な出来事」ととらえられがちだが、歴史的にはナチス前から思想として存在し、ドイツだけではなく、アメリカやイギリス、日本でも政策が実施されてきた。
戦後、ナチスの残虐が露わになるにあたって、優生思想は影を潜めたかに思われたが、実は脈々と生きていた。特に社会不安が大きくなるにしたがい消極的優生学が顕著となっている。「社会にとって有益ではない。役に立たない」という勝手な思いから、社会的弱者に対する切捨て、時に抹殺という行為が目立つようになる。ちょうど6年前に起こった相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の惨状も、犯人の誤った考え方によるものであると思う。
 
また最近では新型コロナウイルス感染症への対応は優生思想をイメージさせる。
「自粛警察」と言えばわかりやすいだろうか。感染拡大は「人は何かことがあれば、簡単に権威へと服従し、異端者を排除する」ということをわれわれに伝えてくれる。
日本赤十字も、ウェブサイトの中で「この感染症は『三つの顔』を持っており、これらが『負のスパイラル』としてつながることで、更なる感染の拡大につながっています」と記載している。この三つの顔とは「病気」「不安」、そして「差別」である。そして、現在、病気が不安を呼び、不安が差別を生むことで、差別が受診をためらわせたり、さらなる偏見・差別へとつながるのだろう。
不安の結果として人間の心に宿る「優生思想」。「差別」について考え直すとともに、簡単に権威に服従することのない「冷静で客観的な目」を持つことの重要性を再認識した次第である。

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