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ウィズコロナ時代の倫理とソシャゲーの精神

無駄にマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」っぽいタイトルに寄せてみた。
ただし、タイトルに負けない立派な文章であれば良いのだが、なんとなくな思考を書きなぐっただけの「雑記オブ雑記」である。

以前、『リアルとバーチャルの格差の変容』と題し、
・リアル社会がバーチャル社会の価値観をつくっているのかも
・現状リアルで認識されている経済的格差によりバーチャル社会における平等性が求められ、それによりゲーム体験としての「Pay to Win」価値から「クリエイティブさ」価値への転換が起きているかも(主にソーシャルゲームにおいて)
みたいな内容をざっくりと述べたが、このウィズコロナ時代ではその傾向はより顕著になるかもしれない、と想像している。

ウィズコロナ時代とは、外出自粛時代でもある。
外出自粛やリモートワークの長期化により、精神的孤独を感じるようになり、コミュニティ価値は上昇する。
(※コミュニティは様々な文脈で都合よく使われている便利な言葉だが、ここではゲーム運営側が行ういわゆるファンマーケティング的なものではなく、ユーザー間で自然とできあがっていくものを想定している)
また、ゲームへのアクティブ性が上昇する一方で、企業、個人への経済的打撃からの消費の落ち込みが相まって、コミュニティ価値の高いゲームにユーザーのログインや課金が集約されるかもしれない。

コミュニティ価値の高い(高くなるであろう)ゲームとはどういうものであろうか。
思いついたものを3つほど挙げてみた。

①リアルフレンドとの媒体となっている長寿ビッグタイトル
(例:パズドラ、モンスト など)

②ゲーム内に加え、動画などメディアも含めたバーチャルでのコミュニケーションが活発なタイトル、つまりプレイしなくても楽しめるタイトル
(例:バトルロワイヤル系 など)

③IPファンがそのIPの世界観を自己妄想的に切り取ったプレイに許容範囲のあるゲーム、プレイ内容やユーザー資産にこだわりをつくれるゲーム
(例:七つの大罪、このすば など)

このような精神的孤独や消費の落ち込みによりコミュニティのような持続的価値が重要となる一方で、短期的価値の低下の速度は速くなるかもしれないし、その要素は今後の新規タイトルではマネタイズが厳しくなってくるかもしれない。

例えば、
・サービスの持続性のためにステータスインフレをせざる得ないキャラのステータスに対する課金偏重
・友人との会話ネタとしてガチャでレアキャラが出た出ないを肴に酒を飲むような射幸心コミュニケーション
などが挙げられる。

以上。

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