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「概念」を定義するから養える

英語には「もったいない」って言葉がないんだよー

なんて。
そう聞いて、そんなことあるかよって思ったのがいつ頃だったか。

これで2005年か。
いや、もっともっと前だった気もするけれど……。まあいいか。
いずれにせよ、もったいないって概念は割と昔から注目されていて、今では「MOTTAINAI」とアルファベット表記にまでされ、広く浸透しつつあるのだとか。

もったいないって言葉がないと、もったいないって感覚はなかなか養われないと思うんですよね。

イメージできますか。

もったいないという言葉がない時に、もったいなさを表現する術を。

ちょっと話変わりますけど「切ない」って言葉でも似たようなことが考えられます。

英訳で調べてみてください。

「painful」が出てくるんですよね。他にも「I miss you.」としている例なんかも出てきます。

どちらもなんか違くないですか。
切なさってもっと他の何かな気がする。

桜が散って、社会人数年目で死に別れた父を思い出す切なさ。

これは「painful」でも「I miss you.」でも表現できない気がするのです。切なさは切なさでしかないし、切なさという言葉があるからこそ、その感情を見つめることができるし、同じような思いを持つ他者に寄り添うことができる。

概念は言語化されてこそ、養うことができるんじゃないかという考えに賛同していて、これはその所以であります。

「I love you.」を月がきれいですね、とでもしておきなさいと言った夏目漱石の話は有名過ぎて引用することさえはばかられるけれど、本質的にはそういうことです。言語と、そこに詰まった感情とは異なるということです。

言語化があるからこそ、そういう文化が醸成されます。

日本には「I love you.」なんて直接的な感情ないんです。少なくとも当時は。言語化されていないんだから。もちろん、誰かを慈しみ、いとおしいと感じ、そばにいたい、寄り添いたい。そういう感情はありますし、それを大切にしたいという思いはあるでしょうけどね。「I love you.」というニュアンスはそれとは違うということです。

わたしが一年間を通して言葉とそこに込められた自身の思い出やら考えやら概念をメモしたのは、そういうところにもあるのかもしれないなって、さっき思いました。

あと7日で、連続更新もちょうど1年。



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