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<Clan Caiman> カイマン族

アルゼンチンのミュージシャン Emilio Haro による架空の民族による架空の民族音楽バンド。マルチ・インストゥルメンタリストである彼の音楽を初めて聴いた時、楽器の音色や配置の仕方に(勝手に)親近感を感じたもの。
最初はそんな彼がバンド編成で、しかも「架空の民族音楽」のアルバム・・・というのはどうもしっくりこない感じがしたものですが、その音楽は勝手な予想を一蹴するもの。「架空の民族音楽」というコンセプト自体は昔から時々目にしますが、それらと比較してもこのアルバムは相当に魅力的な音楽が納められています。

まず楽器。オリジナルの創作楽器っぽいのですが< kalimbafón >というクレジット。サンプラーかシンセによるものだろうと思っていましたが、その後Youtubeなどでライブ動画を観たところ実際に制作したものらしく、でっかいカリンバのような楽器が確認できました。その他はパーカッションやシンセ、ギター、ベースといったオーソドックスな編成なのですが、聴こえてくる音楽はなんとも不思議な感覚を呼び起こすものです。
なにしろ、フレーズに音色、リズムの絡み具合が絶妙。それは「何かのきっかけで近代的な楽器を入手した人々が、見よう見まねで演奏方法を習得。自分達民族の音楽にアレンジを加えて創った音楽」風であるにも関わらず、とても洗練された音楽のようでもあるのです。ミニマルでゆったりした音楽はいい意味で浮世離れしていて、その音空間にずっと浸っていたくなります。

「民族音楽」というものは、プレイヤーにとっても魅力的で、とんでもない発見と新しい世界が開けたように感じるものです。かくいう自分も、しばらくの間「そちら方面」に夢中だった時がありました。「夢中だった」ということは今はまったくその手の演奏をしていないということです。なぜかといえば、ある時自分のライブ映像をみていて強烈な違和感があったからです。トラディショナルな演奏もきちんとできるミュージシャンの中で、上澄みだけすくって手先の小器用さで「それ風」に味付けした自分の演奏はなんとも貧相で、極めて程度の低いコスプレのようでしたから。

Emilio Haro のバンドは、ただ混ぜあわせたり、阿るだけの音楽を飛び越えて・・・あ、「音楽を飛び越える」ではなく「音楽とは初めからからまったく別の場所にいる」のほうがしっくりくるか(笑

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