【第1回】珈琲専門館「伯爵」でウェイターをしていた時のお話、あるいは奇譚。

あと4時間ほどで、この風景とも見納めだな。

バブル時代のような、どこか古めかしくも豪華絢爛な内装。店内には、様々な人間がいた。ゆっくりと珈琲を楽しむ人、熱々の海老ドリアを食べる人、風俗嬢の面接をしている人、不倫カップルと思しき人……。レギュラー、イレギュラー問わず、色んな人間模様を見つめてきたが、それも今日まで。

2年ちょいの間、アルバイトとして勤めていたけど、毎日が発見の連続だった。もちろん、見たくもないような物まで見てしまったことも多々あるのだが……。せめて、最終日だけは平穏無事に終わりたい。そう思っていた。

しかし、その願いは即座に却下された。池袋駅北口と東口を繋ぐ、ウィーロードという地下道内で、催涙スプレーのような物が撒かれたらしい。周辺には多くの野次馬が集まり、警察官がそれを引き剥がそうと必死に呼びかけている。店内にいたお客さんも、その様子を窓の外から眺めていた。

「何が起きたの? テロ?」

サンドイッチを運ぶ際に、初老のサラリーマンにそう聞かれた。

「いえ、僕もよくわからないのですが……。どうやら異臭騒ぎみたいですね」

「物騒だなぁ。収まるまで、もうちょっとここでゆっくりさせてもらうよ」

「ありがとうございます」

そんな会話をしていると、マネージャーが苦笑いしながら、こっちに来てくれないかというジェスチャーを出した。

「マネージャー、どうしました? 何かあったんすか?」

「今ね、新聞社とテレビ局から電話がかかってきたよ。外の様子はどうなってますか、って。気になるんなら、来りゃいいのにな」

「本当っすよね。今日は暇になりそうですね……」

「商売上がったりだよ。あれ、てっちゃんは今日で最後だったっけ?」

「そうなんですよ。最後の最後に、これって酷くないですか?」

「アハハハ、しょうがないしょうがない! 一生の思い出だよ」

しばらくすると、防護服に身を包んだ、化学機動中隊らしき集団も駆けつけてきた。

「なんか本格的なのが来たね。てっちゃん、作業が終わったらうちで一休みしていきませんか、って営業してきてよ」

「無茶言わんでください」


異臭騒ぎ発生から数時間後、私のウェイター生活は静かに幕を下ろした。


--------------------------------------------------------------


JR池袋駅北口から徒歩20秒。レンガ風の外装でお馴染みの、ホテルサンシティ池袋へ向かう階段を登って行くと、喫茶店がある。知る人ぞ知る名店(迷店)、珈琲専門館「伯爵」だ。

このお店で、ウェイター兼カウンター兼キッチンのアルバイトをしていた。その前にはゲームセンターで接客をしていたのだが、客層の悪さに耐えかねて脱走。もっとオシャレで、エレガントな所で働きたいなと思っていた矢先、ウェイター募集の張り紙を見つけたのだった。

ウェイター。実にいい響きだ。カフェ店員ですと言えば、女の子ウケもいいだろう。珈琲も好きだし、ちょうどいいじゃないか。

やましい下心を胸に秘めながら、「伯爵」の門を叩いた。あっさり採用となり、2日後には初出勤となった。実にスピーディーな展開である。

半袖のワイシャツとベストを着て、慣れない手つきで蝶ネクタイを結んで、颯爽と店内に飛び出して行った。大学3年生の秋だった。

後ほどじっくり書くつもりだが、「伯爵」は24時間営業の喫茶店として、池袋界隈では名が知れ渡っていた。しかも、20数年前から営業しているという、ちょっとした老舗。当然、お店にまつわる様々な歴史が存在した。抱腹絶倒のエピソードだけじゃなく、池袋の文化史だったり、都会人のライフスタイルの変遷だったり、アンダーグラウンドな世界だったり……。

私が体験した数々の出来事、見つめ続けてきた数々の光景を思い出しながら、徒然なるままに書いてみようと思う。

(続く)

※記事は全文無料公開とさせていただきます。もし、「面白いな」とか「早く続きが読みたいな」と思っていただきましたら、投げ銭をお願いします。感想、コメントもお待ちしております!

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?