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ちょっとブレイク 企画展「話しているのは誰?」について

まえがきコッチョリーノ 

▶︎久しぶりの「ちょっとブレイク」です。環境がゆるせば ワーグナーの「リエンツィの祈り」を聴きながら読んでいただくと幸いです。▶︎ザザザザとざわめきを感じたら、制作や打ち合わせのはざまにアートや映画鑑賞に突然つっぱしります。▶︎土がついている手をカリカリしながら鑑賞するのも悪くない。▶︎友人とまちあわせてギャラリーや美術館や博物館にいけなくて。友人の展覧会は、広めたいという別目的もあり意識的に人を誘いたいのに、それは蓄電がじゅうぶんされているとき。▶︎先週から人生試練なアクシデントがつづき予定がズタズタでなんとか心の解決を求めました。かけあしで。▶︎これから書くのは国立新美術館(乃木坂)の鑑賞記録です。▶︎そのあと初期から応援してきたAさんのすばらしい個展(銀座)にたどり着いた時はすでに陽が落ち真っ暗で、雨にぬれた街は寒くなっていました。もう手が届かないほどブレイクしている作家さんなのでナンセンスな想いでしょうが、友だち連れて来られなくてごめんねって、冷えた手をすりあわせて独り言。▶︎そういうことで、蓄電はギリギリだけど窯の修理計画と制作の日々。そして、これは毎日のまことしなやかな「日日是好日」自分用のメモなのです。長いですね、まえがき。


大海を手でふさぐ

あのおでん屋にシュナーベルいるから行こうよとか、リンチの手のぬくもりオレら一生忘れないよなとか、そういう会話ばかりして現代美術をむさぼっていた時代の、今や立派な現代美術家の友だちが「たまちゃん、いい展覧会だったよ行ってみて」と紹介してくれた。

窯のアクシデントは、管理者の心にもズドンと穴を開け、ギャラリーのスケジュールにも穴を開けた。ちいさな財布にもおおきな穴を開けた。そして、例の展覧会は最終日の数時間前にせまっていた。


話しているのは誰? 現代美術に潜む文学

国立新美術館で開催されていた企画展。
紹介したい作品群だったのに、最終日であった。

田村友一郎、ミヤギフトシ、小林エリカ、豊嶋康子、山城知佳子、北島敬三という年代も表現方法も異なる作家たちの「文学」をテーマにした作品を集めたもので、攻撃的でないのに、強い社会性をもった作品群。

実際の滞館時間はだいぶ長くなった。全員の感想を書くのは、アート評論家でもなく、わたしの仕事ではないので、ひとつだけ。ショートムービーとして別料金を払ってもいいと思えた作品だったので。

チンピン・ウェスタン「家族の表象」
山城友佳子 (2019 4KHD映像/32分)

数年前のあいちトリエンナーレで、ひとつだけ鑑賞したことのあるあの作家のものだと気づいたのは、映像を観てから。その後も、彼女の作品は神奈川で紹介されていたので、興味津々であった。

沖縄出身、沖縄で地元の歴史を学び、アートで表現したいとあるムービーで語っていた彼女。うわっつらなコンセプチャルアートとの違いを感じる。報道やプロパガンダとも違う。社会的活動というポリティカルなカテゴリーにありながら、攻撃的でない、それなのに強い意思を感じた。これは名護市辺野古の基地建設にまつわる物語。一方的に「わるい」を主張していない。必ずしも反対する人ばかりでない。そこには本意と不本意の苦しみがあるということ。

埋め立てるための土砂を採掘する現場を俯瞰した映像の先には美しい海がうつっている。こんな現状みたことなかった。採掘場には「天船」という海で遭難した先祖を村までおくり届けたという神の岩が祀られていたが、それさえ消えた今。真剣と滑稽のはざまで描かれた映像は、報道以上に迫るものがあった。

ショートムービーの最後、生きるために採掘場で働く父親役が、優美に歌い出すオペラ「リエンツィの祈り」(リヒャルト・ワーグナー)の、おかしみに、報道以上の迫りがあった。自身が映像のどこに入ってしまったのか。世界の問題の中にポツンと立つ自分が見えた。

美術や文学とは、人を和ませるもの、益に適うもの、それを数多く売るものに留まってはならない。報道、情報という分かち合うもの以上に迫るものを発信する「天船」のようなものでなければ。ワーグナーで泣く年輪を築いたのかあと、ものをつくる小さなひとり自戒の念をこめて。


以下に、ふたつのリンクを貼らせていただく。

東京藝術大学准教授の荒木夏実さんのコラム「アートを通して考える」でも、山城さんの作品が取り上げられている。

最後に「オペラ対訳プロジェクト」@Maria Fujioka 様の対訳つき動画「リエンツィの祈り」をリンクさせていただく。とても沁みる和訳に感謝。


写真:長皿コッチョリーノ 

▶︎次の個展でも「長皿」すでに窯から上がっています。サイズはさんま一尾のるサイズです。▶︎ほおずきのチョコレートがけはずっと前ミラノの老舗おかし屋さんで見て憧れたものを再現。ほおずきは伊語で「アルケケンジ」ゆえにケンジ君は健脚と覚えたことは内緒です。(以上たま)

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