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スープ作家 有賀薫さんトークショー

*有賀さんの「鍋コレクション画」に色とメモ

オリジナル画はこちら
★わたしの鍋コレクション 有賀薫

鍋ばなし 汁の海原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする…

鍋のはなし スープ一杯のしあわせ吹けば どうしたってそのひと有賀さんを忘れやしないわということで、歌なんか詠んでないで、急げトークショーへ!!

自分のための記録として有賀さんの鍋イラストに勝手にメモを添えた。会場に持ちこまれた鍋の色も記録的に塗って。これで撮った鍋の写真もメモ書きも一体化。夢中になると、むかし履いていた2足目のわらじ(インタビュー速記者から記事起こし業)を無意識にひっぱり出してしまう。

さて、有賀さんの5つの名言にGO!


*有賀さん5つの名言


1.鍋でスープの味かわります

自分のつくる土鍋に限った話になるが、保守的なイタリア人も「土鍋でつくるとおいしい」など、ここ数年でようやく土鍋の味の違いを認めてくれはじめた。化学的なエビデンスは出せないので、「旅する土鍋」でたくさんの声を集めて実感してもらうしかないのだ。

⇒「旅する土鍋」でさらに声をあつめたい


2.ふた大事

以下は少し前にかわしたコオロギハウスさん(家事代行のプロ)との会話。

ふたは、土鍋づくりでも最も重要視している。土鍋をつくりはじめた10年ほど前は「重すぎて使いこなせない」というネガティブなご意見が多かった。少しでも好意を持ってもらおうと、ふたのつまみの形や、洗いやすさを工夫しながら重さによるおいしさの説明などを繰り返した。

⇒小さな手でも持ちやすいコッチョリーノのふた持ち手の形状を心がけた

3.100%の鍋はない

熱伝導率、蓄熱性、素材による得意不得がある。重さや軽さ、価格も多様。この名言に、土鍋づくりにさらに自信を持ってまい進できると胸をドンドンと叩いたりして。土鍋はつくれても鉄の鍋はつくれないわけだし。

⇒コッチョリーノ土鍋ができること、できないこともある


4.大は小を兼ねず、ぴったりサイズ選んで

⇒土鍋サイズのはなし


「素材どうしの距離感かつ一体感を鍋の中で目指す」という名言。コッチョリーノがさまざまな土鍋サイズを取りそろえているのは、ここにあり。きっとたぶん、コッチョリーノの土鍋は、ル・クルーゼやストウブ、バミキュラよりサイズ展開は多いと自負している。いくつも持てない事情はみな同じ。多数を持つなら収納も考えたデザインをしなくてはならない。

⇒コッチョリーノのスタッキング土鍋


5.人の便利と自分の便利はたぶんちがう

もう、もう、これでいいのだ。これに尽きるわけで「えらぶ人」もほっとするだろうし、いやはや「つくる人」は大変ほっとする。しかしながら、頑固になってばかりではいられない。人の便利に耳を傾けることも得策だ。

⇒アートでもあるコッチョリーノ土鍋は好き嫌いがたぶんちがう!!


*洗うという行為

鍋えらびのヒントを柱にしたお話しだったわけだが、わたしの場合は「つくる」という立場でも聞かせてもらった。

学生時代、工芸科の教授が「酒がのめるやつは酒器が巧い」しかし「食うのが好きなやつ料理をつくるやつの器が巧いとは限らない、料理して食って洗うまでするやつの器が巧い」と。当時はふふんという感じだったが、今になって、至極そう思うし、うつわも鍋もいっしょだと思った。

うつわも鍋も、エクステリアのデザインだけで選ぶものではない。内側の線、内側の素材触手で感じる厚み、テクスチャー素材の温度感がだいぶちがう。目に見えないデザインが大いに影響する。食洗機は便利なものだが、手で判断する感覚が弱くならないかと懸念する。イタリアで使いなれた食洗機であるし、作家のうつわを食洗機で洗うことを非難しているのではない(むしろ推薦するが)。できるだけうつわも鍋も内側をときどきなでてあげてほしい。

有賀さんのお話しは、当日のゲストであった川口の文化軽金属鋳造株式会社の社長さんのお話しと相まって、両者のお人柄なのであろうか、正解のない鍋づくりへの想いに刺激され、ちょっと涙腺がゆるむような静かな熱さを感じた。




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