2021.5.1

cells to play というブランドをやっている友人の展示会に行ってきた。彼は、廃ホテルに自分のグラフィックをいくつか飾り、それらが数年経っても同じ場所に飾られていたり破壊されていたりするという経過を記録した「半永久する個展」や、太平洋に浮かぶ小岩の上で大きな旗を振り回す「孤立する個展」など、魅力的なインスタレーションを行うデザイナーである。

遊びの輪が友人レベルから周縁に広がっていく過程自体を楽しむ、という意味でかのようなブランド名になっており、格好をつけたセルフプロデュースに寄らないブランドの在り方にも共感している。

展示会への招待メールも、緊急事態宣言下で行われることにかなりの葛藤を感じている内容であったし、後から聞けば誘う人それぞれに違う文面で送ったとのことで、そういう何かきめ細かい感じがするところも、彼を好きな理由の一つだ。

ずっと、高校の頃から彼は何かを作ることが好きだった。高校時代は一緒に1曲作ったこともあるが、音楽の趣味に差異がありすぎて難航し、やっと完成したのに微妙な空気になった気がする。僕は一緒にバンドをやっていた友人から曲への意見をされたこともほとんどなかったから、その空気は新鮮で緊張感があった。

彼はその後大学へ進学し、古着を掘るようになって、高校時代は水色のフリースしか着ていなかったはずだが、もはや僕が一生かけても羽織り切らない量の服を着たのではないかと思う。

神社で働き始めた彼としばしば酒を飲んだが、神社の離れのAKIRAが置かれた部屋で、乃木坂のオススメの動画を僕に見せながら、彼はもがいていた感じがする。僕も多分もがいていた。

そのもがきについて、僕は確信が得られなかったから彼に尋ねることはなかったけれども、今回の展示会でよく分かった気がした。彼は、この世界において自在でありたかったのではないだろうか。

もがきというか、どもりというか、自分のイメージが具現化するまでのラグに悩まされたのではないかと思う。だとしたら、今はずいぶん楽しそうだし、遊ぶ細胞の戯れに僕も混ざっていたいなあと思った。

そして、僕もその自在感を求めて生きている。だから周囲でそれを体現している人を見ると刺激になる。ライブが減って、簡単に言えば社会との接点がほぼ絶たれたような気持ちでいるから、彼の展示会があることはかなり有り難かった。

もう動画を見ながら酒を飲みつつどこかで実はもがいている、そんなタームは終わったかも知れないなあ。でも彼が元気にものを作り続けていることは、僕にとって大きな刺激だ。

その友人は、神社で働いていたのに、なぜかそうりょと呼ばれている。

https://www.instagram.com/soryoo/

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