川の流れのように

僕は過去のことを思い出すのが苦手だ。

正月の卓上に並ぶばあちゃんの握った島寿司、それを食べに来た客人から渡される大量のお年玉、それを受け取って「いつかまとめて渡す時がくるからね」という母親の声。

遠くに鳴る海のさざめきとセミの鳴き声、庭で育てたキュウリの匂いと仏壇から伸びてくる線香の煙、ピアノの先生が飼っていたリクガメの手触りと海外土産の不思議な味。

小学校の先生に怒られたときの校庭に伸びた自分と先生の影、僕の影はサッカーゴール手前で果てたが、先生の影はどこまでも伸びて体育館の外壁に差し掛かったところで空に向かって折れ、頭の先は夕日を反射して輝く窓のところで消えた。

初恋を誰にも語ることなく1人悩んでいた時の友達の何気ない一言、何を言われたのか、何と返したのか、救われたのかどうかさえ分からないが、僕はその夜にたくさん泣いた。

思い出す過去は、すべて断片で、文脈を後から自分が与えているだけだということが分かる。そうして僕は過去を味わっている。苦手なのは、過去を思い出すことではなく、この味わうという行為だ。

「人生、山おり谷おり」というアルバムをリリースした2017年、僕は初めてMONO NO AWAREというバンドの名を意識した。自分が作る曲調の一貫性のなさに困り果てながら、自分自身の手でさえも掴みきれないような存在であることに陶酔していた。

目の前に川が流れている。水面に映る自分の顔を覗くと、笑っているような、泣いているような、怒っているような、掴みどころのない人相が揺れている。このまま見つめ続けていれば、この顔に似ているものもいずれ出てくるだろうが、全く以って同じ表情というのは現れないだろうし、まずその頃には以前見た表情を忘れているだろう。

手を突っ込んでみる。水は液体だから、この手で掴みとることはできない。液体が指を避けるようにして移動している。いま僕の手をすり抜けた液体は、もう二度とこの手に触れることはないだろう。

しかし、川岸から何歩か後ろに下がってみれば、それはただの川である。そういうバンドでありたいと、初めて思った。

そのとき僕が感じていたのは、過去はもう変えられないこと、そして戻ってこないこと。そして、人生は予定調和ではないということだった。今思えば、うまくいかなかった人生の一部分を、そんなことは過去だから、人生はうまくいかないものだから、と向き合わないでおくための工夫だったようにも思う。

だから、歌詞においては断定的な表現を避け、何度聴いてもよくわからない感情になるような曲を目指した。かくして僕らは、「ジャンルレス」だとか「形容しがたいポップ」というような表現で語られることが増えた。


ここにいてはダメだ
駈け落ちしよう
そう言ったろう
約束が違う


「駈け落ち」の歌詞に、当時感じていたことが詰め込まれているように思う。この裏切りの瞬間が、人生の複雑さに直結していると思った。このアルバムを作る前に、母親が「あの時のぶんです」と、僕が生まれてから貯め続けていたお年玉を渡してくれたが、アルバムを作り終える頃には僕はそれを使い切っていた。


「AHA」というアルバムをリリースした2018年、僕は過去から逃げているだけなのではないかと感じ始めていた。「東京」という曲は、もともと都会での生活を綴るだけの歌詞だったが、やはり東京を語るにあたって故郷である八丈島を語らないわけにはいかない。その感覚が結果的に、アルバムに何曲分かのノスタルジーをもたらしたように思う。

ただし、このアルバムで語りたかったのは物事の二面性(多面性)だった。「東京」という曲に対峙した時に、先人たちが込めてきた想いと、それとは少し方向性が異なる僕の考え。ひとつのニュースに対する、さまざまな意見。悩みごとに対して応援や叱咤の言葉をかけるではなく、ただその事実を肯定するという選択肢。最終的に、自身が信じ続けた過去のどうしようもなさに対して、だからと言って安易に切り捨てていいものなのか、という問いが現れた。

だから、アルバムのアートワークも鏡面に、ブックレットも左右で鏡写しにして、歌詞を左右で少しずつ変えたり、言葉のギミックも凝らした。僕がファーストアルバムで断定的になれなかったのは、こういうことがあるからですよ、ときちんと根拠を提示できたような気分になっていた。

誰かの、何かしらの意見を聞くたびに、「このような意見もある」という反論を持ち出し、この世界は多面的に観察しなければならないということを得意げに語る。しかしある時、「お前はどう思うの?」と尋ねられ、僕は言葉を詰まらせた。僕が吸い寄せられるように仲良くなっていった友人たちにとって、多面的に観察することなど当たり前のことだったのだ。俺はどう思うのか?それが、次のテーマになった。

少し自虐的な文章になったが、僕は、この2枚のアルバムには一貫性があると思うし、さまざまな人と協力し合いながら良作を生んだつもりではある。しかし、「断定しない」ということは、自分をさらけ出せないことでもあると感じていたし、自分でも掴めないような作品を作ることに飽き始めてもいた。

そして、自分をさらけ出すために、過去と向き合わなければいけないということも分かり始めていたから、実家から段ボールを2箱送ってもらった。中に入っているのは僕が小さい頃に描いた絵や文章、授業で使ったプリントである。そこに書いてあったのは、まるで今の自分とは別人のような人間の言葉であった。

人は変わるんだな、と実感した。過去を変えられないのは、時間を巻き戻せないからではなく、今の自分が過去の自分とは違う存在になっているからだ。そう考えると、過去を変えられないことを嘆くよりも、今と違う自分を掘り下げていったほうが面白い。

楽しい思い出には浸りすぎないようにしながら、何が楽しかったのかを考える。今思い出してもつらい思い出は、つらいという感情の中に、過去と今とで何か差異がないか探す。

その断片に出てくる登場人物たちは、僕にとっての恩師だったり、イヤなやつだったり、もう亡くなった人もいたけれど、その人たちがいたおかげで今の自分があることを痛いほど思い知らされた。僕の考え方、感じ方は自分で開発したものなんかではなく、関わった全ての人たちとの摩擦、共鳴の中で自然とでき上がったものなんだ。

ここにきてやっと、なぜ過去を並べてそれに浸ることが苦手だったのか分かった。それは、今と向き合えていないからである。今、自分が何をすべきかを分かっていないから、過去がどうだったということを思い出し、それを味わうことが後ろめたいのではないか。俺は今何をしているんだ、と反射的に考えてしまうのではないか。結局、今自分が動いていないと、過去とうまく向き合えないのだ。

僕は幸運なことに、養老孟司さんの『かけがえのないもの』を読んだことで、過去の自分が何を考えていて、そもそもどういうことに興味を持っていたのかについて思い巡らすきっかけを与えてもらった。そのきっかけをもらってから、動き出すまではそう時間がかからなかった。

今動くことと、過去の自分に向き合うことは、かなり深いところで繋がっているように思う。自分の過去に関係なく動き出すことは難しいし、かと言って動いてもいないのに過去ばかり思い出すことは後ろめたい。その負のループから、一冊の本を読むことで、うまく抜け出せたと思っている。

2019年にリリースした「かけがえのないもの」は、僕が初めて過去と向き合って、自分が何を大切にして生きていこうとしているのかを、一度しっかりと断定しようとした作品である。

独りよがりにならずに、僕はこう思いますが、あなたはどう思いますかと、尋ねるために作ったつもりだし、それに共鳴してほしい気持ちもあれば、摩擦が起きてほしいという気持ちもある。

そして、それが共鳴であれ摩擦であれ、みなさんが何かを感じてくれれば、それだけで誰かの過去に僕らの音楽が組み込まれることになる。場合によって、その音楽は、聴いてくれた人々の中でその人の言葉に翻訳され、また誰かに伝わっていく。

「Skyrocket Company」というTOKYO FMの番組に出演した際、マンボウやしろさんに「前のアルバムまでは掴みどころがなかったけど、今回のアルバムでグッとわかりやすくなった気がする」というようなことを言われた。この時の感情は、一言では表せないが、とにかくうれしかった。僕は中学校の頃、まだあなたがやしろ教頭という名だった時、あなたの言葉を聴いて過ごしていたんです。その当時の経験や考え方に今回は向き合ってみたんです。そして、当時の自分の気持ちを、今の自分の言葉で翻訳して、それが教頭の元に帰ってきたのなら、こんなにうれしいことはないんです、と。そう思った。

それは、僕らを照らした夕日や、もうもらうことのないお年玉と同じくらい、大切な断片だった。この断片を作ることが、僕の今年の目標だったんだ、と、年の終わりに気がついた。

川に手を突っ込んでみる。もちろん二度と同じ液体に触れることはないが、それが冷たくて気持ち良いことは分かる。僕がどれだけ変わっても、何歩か後ろに下がって見れば、やはりそれは僕だろう。

川の流れは儚いが、それはどこまでも流れ続けていく。

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