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2.悟りを求めて旅へ①

絵:2012年南インドトリバンドラムのお祭りで会ったヘビ女

●ヨガ指導員養成講座へ 
会社員生活に終止符を打った後、名誉挽回しなくてはと会社員時代から興味があったヨガを学ぶ講座を探した。最初は痩せるための体操から興味を持ったが、友人が貸してくれたヨガ哲学書がいわゆるファッションヨガと違い面白かった。とりわけ佐保田鶴治著「ヨーガのすすめ」の一節「昔の賢い人は、自分を見つめることを知らずに、外部のことばかり気にしている俗物的な人生を評して酔生夢死と呼んだ。この酔生夢死な生き方は現代文明の進歩につれて、いよいよ流行し、ますます力強く成長しつつある」に頭をガーンと叩かれた思いがしたのだ。「これは私のことじゃないか、しかし、自分って何かなんて考えたこともない。よし、ヨガを学んでみよう」と一念発起したのである。
実は、母親がヨガ歴30年のベテランであった。中学生のときに母について、自然食品店の倉庫の空きスペースで本格的なヨガを教えてもらったこともある。その頃は、ヨガなんておばさんがやるもの、と思っていたし、母に比べて若いのに身体が硬くてポーズが取れなかったこともあり、絶対にやりたくなかった。そのヨガを再び、しかも本格的にやる日が来るとは、なんとも不思議な縁である。
ネット検索した結果、佐保田氏も関わりのあったシバナンダヨガを選び、開催場所であるベトナムで1ヶ月の合宿生活を送った。毎日朝5時に起きて、瞑想、体操をして、哲学や身体の機能について、ひたすら勉強する。時には、寝ないで一晩中皆でお祈りをし、クリアという鼻の孔や胃を洗浄するようなハードな修行もあり、これまで身体の垢を落としきるつもりで挑んだ。しかし、今一つ理解できないのだ。神様にお祈りしている人々が、滑稽に見えてしかたがない。こんなことして、一体何になるのだ、金にもならんし、何かいいことがあるのだろうか。あっという間に1ヶ月は過ぎ、なんとか卒業はした。またもや、これからどうすればよいのか途方にくれていた。

●悟りを求め、インドへ
ベトナムから戻り、自宅ヨガクラスを開くもさっぱり集客できず、日々が過ぎた。ヨガの食事を出すプランを作ったらどうだろうと、お気に入りのオーガニックレストランで働かせてもらえないか頼んだところ、3か月だけなら、と雇って頂いた。この期間が終わったら時間ができるので、インドに行こうと決めた。
2012年7月吉日、南インドのコーチンからインドに入国して、トリバンドラムのヨガのアシュラム(宿泊施設)に長期滞在してみようと思っていた。しかしながら、時はオフシーズン(オンシーズンは11~3月)で人もまばら。国籍、年齢、職業も違う人々との交流が面白くて、もっとインドを味わいたくなり3週間で飛び出した。南インドのビーチでアユールベーダ三昧、北へ飛んでデリーからジャイサルメール、アグラからバラナシ、レー、最後はヨガの聖地リシケシへ2か月ほど滞在した。前半の大半がインド周遊になってしまったため、リシケシでは真面目に修行をしようと張り切った。アシュラムだらけなので、これはと思ったところに1週間ずつ滞在して、アシュラム巡りをした。結局、どこも気に入らず、最後の方はインド人経営のアパートを借りて、シバナンダヨガ出身の先生のスタジオに通った。
ヨガの種類が多すぎて、正直、よくわからなかった。なので、最初に学んだシバナンダヨガに戻った。
悟りの方はさっぱりわからなかった。一人暮らしをして生活の方が大変で、自分は文明に生きていたことを思い知った。鉄容器入りのプロパンガスが一人で設置できないので、キッチンがあるのにガスが使えなかった。停電も頻繁にあるし、急に赤い水が水道から出てきたり、日本にいた時は、起こらなかったようなことが、たくさん起きた。停電など、東日本大震災の時の東京で起きたときは大騒ぎだった。しかしインド人の反応は全然違った。街が真っ暗になっても、ろうそくを出すくらいで、普段通りなのである。電気の明かりが当たり前すぎて、私は電気というものが何なのかもわかっていなかった。東京での生活はスイッチ一つでお風呂も沸かせるし、故障なんて、よほど古くないと起こらない。生活するとは、お金を稼ぐことではない。生きて、活動して、自分で作ること。悟る以前に、そういう基本的なことがわかっていなかった。電気のことは学生時代に習ったかもしれないが、実践がないから、すっかり忘れている。便利さに埋もれ、中年になって初めて、全く生活力がないことに気づいた。インドのバナナがすぐ腐るのも、最初はインドが汚い国だからと思っていた。けれど、ある人から、日本のバナナが長期間置いておいても腐らないのは、農薬がかかっているからだと聞いて驚いた。なるべく高めのものを買って無農薬を選ぶようにしていたが、すぐ腐るものなどなかった。基本的な知識がないと見た目で騙されてしまう。毎日、自分と向き合って暮らしていたので、身の回りのことでたくさんの気づきがあった。
旅も終わりに近づき、自分に対して発見はたくさんあったが、人に言えるような何か素晴らしいものは手に入らなかった。インド旅は自分の視点を変える旅となったが、社会的な役割を与えられるような劇的な出会いもなく、軽く通り過ぎていく旅人として幕が下りた。


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