日常の行為の中でする瞑想――超作(ちょうさく)という名の瞑想行7:ポンチ井の頭
前回は、神様や神霊に近いであろう存在から超作について語っているものを探るという予告をした。元々は、玉光大神様とは直接関係ない存在の言葉を探り、考察するつもりであったが、その前に先ずは玉光大神様が超作について、どのように示されているかを紹介する。
『十五条の御神訓(ごしんくん)』は、玉光神社初代宮司・本山博が1995年(平成7年)11月15日に御神言を賜り、氏がその場で書き留めたものである(順番も含め、御神言そのままを書き起こしたもの)。また、2015年(平成27年)2月6日に本山博が『十五条の御神訓』は玉光神社の根本教典である、と位置付けた。
その根本教典の一つに
第十条 今を超作せよ 絶対の神に還れる
と示されているのである。
この根本教典には、祈れとも瞑想せよとも一言も書かれていないが「超作せよ」と書かれているのである。しかも絶対の神に還れるとまで。超作が人類にとっていかに重要な行であるかが分かる。
生前本山博が、毎年、年頭に玉光大神様にその年以降の世界の様子を伺ってそれを機関紙に発表し、それをまとめたものが、『啓示された人類のゆくえ』(本山博、1993年、宗教心理出版)『啓示された人類のゆくえ(Ⅱ)』(本山博、2017年、宗教心理出版)として刊行されている。
玉光大神様が本山博に直接降ろされた啓示である。
ここからも愛をもって超作をすることが人類にとって如何に重要であるか、そしてその対象は(各人の)仕事である、ということが啓示されているのである。
次回はいよいよ直接関係のない他の文献から、超作について何か語っていないかについて調べて考察する。