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私たちの不完全な世界認識について:S.P.

 玉光神社初代宮司の本山博の本は難しいとよく言われますが、晩年には、なるべく玉光信徒やIARPの会員でない方でも読みやすくなるようにしたと思われる本が何冊か出版されています。そのうちの一つが、京セラの創業者として有名な稲盛和夫氏との対談がまとめられた『人間の本質』(PHP研究所)という本です。この本のハイライトは、初代宮司の下記の発言の箇所なのではないかと思います。

 今からニ、三〇〇年前、京都の人たちが非常に困っていたときがあった。そのとき稲盛さんは、前生で、困っていた人たちを助けた。だから、稲盛さんが京都で事をなせば、助けられた人たちの魂というか、生まれ変わりというか、そうしたものが支えてくれるわけですね。

本山博、稲盛和夫『人間の本質:生きる意味を探る』PHP研究所、2009年、189頁

 稲盛氏が常人にはできない大変な努力をされて成功を収めたのは有名な話ですが、成功できたのはそれだけによるのではなく、前生で京都で困っていた人を助けていたからだ、と言っているのです。
 何か深淵を覗き込んだような気持ちにさせられる衝撃的な発言であり、同時に、私たち一般人の世界認識がいかに限られたものであるのかについて深く考えさせられます。例えば普段、あの人はうまくいっている、あの人はうまくいっていない、などと考える時にその理由を推測したりしますが、仮にその推測が合っていたとしても、理由の2~3割くらいしか実は分かっていないのではないか…と思われます。

 このような限られた不完全な世界認識の中でどう生きていくのがいいのかについて、玉光神社に入信したからといって急に疑問が解決したりするわけではないのですが(少なくとも私には)、信徒の間で話をしたり、現宮司の講話を聞いたりしながら、今生が少しでもまっとうな人生になるように努力していきたいと思っています(笑)。