宮澤賢治はいつ『春と修羅』を書き始めたか
大正10年12月、花巻農学校に教師として就職した宮澤賢治は、近所の蕎麦屋の長女で小学校で教師をしていた大畠ヤスさんを見初めます。
ふたりの恋については、大畠ヤスさんの姪ごさんからご証言をいただいています。遠い記憶で、細部ではおぼろになっていた部分もありましたが、「ふたりが恋をしていた」という根本的な部分をも否定する理由は、わたしには見つけられないのです。
そしてその恋を、賢治は心象スケッチ『春と修羅』のなかに記録していました。
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