林真紀

フリーランス英日翻訳者・ライター・リサーチャー/発達障害の男の子の物語『キッズライクアス』翻訳出版しました。ご購入はこちらから。(Amazonでもお取り扱い中)https://shop.thousandsofbooks.jp/items/29443703

林真紀

フリーランス英日翻訳者・ライター・リサーチャー/発達障害の男の子の物語『キッズライクアス』翻訳出版しました。ご購入はこちらから。(Amazonでもお取り扱い中)https://shop.thousandsofbooks.jp/items/29443703

    最近の記事

    note 卒業します。

    いろいろと事情があり、noteを卒業します。 とても大事にしていた場所だったので残念ですが、そろそろ別の場所に行く時期だったのかなと思っています。 他の業務で忙しいなかで月に一度の更新を目指して頑張ってきて、5年間よく続いたと思います。いろいろな方に素敵な感想を頂いて、いつも励みになっていました。 ありがとうございました。 今度はきっとまた別の形で、あなたのもとに。

      • 幸せな11年をありがとう。

        2022年2月、息子が病院の発達外来を卒業した。 3歳で自閉症スペクトラム障害の診断がくだってから8年間、発達外来には折に触れてお世話になってきた。未就学児の頃は月二回の療育、発達検査は計4回受け、その都度適切な支援について主治医にはアドバイスを頂いてきた。幼少の頃は多動があまりに酷かったので、一時的に投薬をしてもらったこともある。(そのときの話は以下のリンク)

        有料
        100
        • 着信拒否してやりました。

          タイトルが禍々しいですが。私は昔のことをやたらと根に持つ人間なので、15年以上前の恨みが忘れられず、ある会社を着信拒否してやりました。 私は属に言う「氷河期世代」/「ロスジェネ」に属しています。私たちの世代は受験や就職が厳しかっただけではなく、ありとあらゆる公的な支援のポケットになっている世代です。 大学生ぐらいの頃の私には、(今では悪名高き)新自由主義的なものがやたらと魅力的に映っていました。それは、自分が社会の中で弱い立場になるはずがないという痛々しいほどの自信が自分

          • 一粒万倍日ということで。

            昨日(1月11日)は一粒万倍日である。こんなの占いフリークの人ぐらいにしか分からないかもしれない。この日に始めたことは、後になって万倍になって返ってくるというスペシャルラッキーデイなのである。新しい物を買ったりするのもこの日が良いと言われている。 長らく私は家からほとんど出ない生活をおくってきた。コロナ禍とか在宅勤務だとかいうのはそもそも関係ない。ちょっと油断すると仕事先からのメールが来るし、すぐに返信しないと電話かかってきたりするし、その上年末に犬が病気で失明してしまって

            ラスボスの出現 ~トラウマケア2回目~

            12月4日にトラウマケア2回目を受けてきました。実は1回目でかなり楽になったということもあり、2回目もう必要ないかな~なんて思っていたのですが、いやはや、受けて良かったです。非常にドラマティックなセッションとなりました。専門家の行うトラウマケアは決して安い金額でできるものではないですし、自分の心の奥底に触れられると思うとおいそれと試せるものではないと思いますが、私の体験をシェアすることで悩んでいる方がカウンセリングの扉を叩くきっかけになれば良いなあと思います。(トラウマケア初

            「好きに生きていいのよ」という爆弾

            昭和時代を生き抜いてきた私たちロスジェネ世代(※主語が大きいが許して欲しい)は、親や社会に「あなたの好きに生きていいのよ」と言われる経験が枯渇している人が多い。大学名も会社名も関係ないわ、人は偏差値じゃないわ、なんなら日本国内じゃなくていいわ、自分の感覚に従って、ワクワクする選択肢を取りなさい!そんな夢のような世界を私たちはどこかで望んでいたのではないか。(いや、他の人については知らないが)少なくとも私は望んでいた。ここからは we ではなく I で語ろう。 「主体性を育む

            眠りの質を改善したら離婚を回避した話

            突然のカミングアウトだが、ここ一年ぐらい夫との夫婦仲がマジで悪化していた。私は日記に夫への苛立ちを綴りまくり、頭に離婚というこれまで知らなかった文字が漂うほどにどうしようもない状態だった。外側から見たら問題なくうまくやっている夫婦のように見えたかもしれないが、コロナ禍で彼の職場がフルリモート(※夫はコロナ禍の途中で転職しているが、新しい職場もフルリモート)になってから私の苛立ちはマックスになった。 先に種明かししてしまえば、夫婦仲が悪くなった理由は夫のいびきであった。これは

            トラウマ・ケアを体験してきた。

            突然なのですが、いろんな偶然とご縁が繋がり、凄腕の臨床心理士の先生を紹介して頂くことができ、「トラウマ・ケア」というものを受けてきました。あまりにも衝撃的な経験だったので、今日はちょっとだけシェアしようと思います。 「トラウマ」というと、(例えば生命の危険を感じるような)過酷な経験のことを指していると思われがちですが、最近の心理学界隈だと「誰もが何かしらのトラウマを持っており、当事者である」という認識に変わってきているのだそうです。つまり、トラウマに大小はなく、過去のある経

            さよなら、後ろめたさ

            その昔、とっても若い頃、私はかなり衝動的に海外留学に飛び立ったのだけれど。最初の数か月は語学学校でガツガツ勉強し、そのあとはアメリカの大学に入学し、慣れないアカデミックレベルの英語に右往左往した。毎日睡眠時間を削る日々だったけど、そのときの奇妙なほどの「生きている実感」は今でも思い出すと胸がキュッとなる。もちろん、そのときの経験がなければ今の私も、今の仕事もなかった。でも実は私、10年以上、その留学の経験が後ろめたい消したい過去として記憶に残っていた。 きっかけは、帰国後に

            息子が投薬していた話を書きます

            私が note に定期的に文章を書こうと決めたとき、心に誓っていたことがある。それは、自分のいろんな経験や考えをゆるふわっと書こうと。社会の欺瞞や特定の誰かを告発したり批判したりするようなことは書かないということ。 なぜそう決めたかと言えば、後者はやり始めるとキリがないからだ。そこに力を使うと、ただでさえ私の削られがちな体力が、もはやギリギリな状態になってしまう。 怪しげなスピリチュアルではないが、周りに「感謝!感謝!」と笑顔を振りまいて生きていた方が、子育て(特に難しい

            意味不明の自信がへし折れた日

            遂に私にも新型コロナウイルス感染症のワクチン接種の予約券が郵送されてきた。副反応が出るか出ないかは誰にも分からない。とりあえず接種日は夫とズラし、体調が悪くなったとしても、子どもと犬の世話ができる状態にはしておこうと思う。 若い頃の私は、こういう状況のときにいつも、「自分に副反応なんて出るはずがない」と自信満々に豪語していた。無駄にエネルギーに溢れていて、恥ずかしいほど見栄っ張りで、本当は怖いことがたくさんあったのに、怖いもの知らずのように振る舞っていた。本当はすごく臆病だ

            その子にとっての宝物の一片

            今の世の中にはスーパーちびっこが多い。私の時代(昭和)にもスーパーちびっこは実はたくさんいたのかもしれないが、今ほどウヨウヨしていた印象がないのはなぜなのだろう。おそらく、SNSがなかったので、そういうスーパーちびっこが可視化されることがなかったのかもしれない。 SNSは子育て中にはときに耐えがたい何かになり得る。私は先日の note 記事でもその点について書いた。 どこにでもいる中学生の姿を受け入れられなかった私。凡庸を愛することのできなかった私。これに気づいて以降、私

            もっと凡庸を愛していければ

            齢43、全てに達観できている気でいた。 そりゃ目の前のいろいろなことに悩んだり腹がたったりすることもある。けれどもそのモヤモヤは思春期や壮年期の頃のそれとは明らかに粘度も深さも違い、一日ぐっすり寝てしまえば次の朝には忘れてしまう。 年を重ねるというのは素晴らしい。自分には悩みなんてないと思っていた。 そんな私が友達からプレゼントを頂いた。カウンセリングのチケットだ。今まで人からいろいろなプレゼントを頂いてきたけれど、こんなプレゼントは初めてだ。素敵だと思った。 (↑

            「なんで?」と聞かないで欲しい

            今朝、こんな記事を読んだ。 ALSに罹患したニャンちゅうの声優が「されて一番つらかった質問」について。その中に、「なんでALSに罹患したのですか?」「なんで治療法がないのですか?」というのがあった。 そんなの自分が一番知りたいよね。難病の人にこういう質問を投げかける致命的なデリカシーのなさもさることながら、私はこの「なんで?(Why?)」という質問が Wh-questions の中で一番嫌いである。 思えば、私はこの「なんで?」という質問にずっといら立つ人生だったように

            祈るように生きるということ

            サムネ画像はバイオリンを弾く息子である。 音楽は少なくとも3~5歳に始めないと絶対音感が身につかないとかなんとか様々な脅しにめげず(いや、ある意味でめげて逃避し)9歳直前まで楽器とは無関係の生活をおくってきた。 発達障害のある息子の習い事は常に一筋縄ではいかなかった。身体の使い方が下手で怪我が絶えない息子の身体能力をなんとか向上させたくて、近所の有名な体操教室に連れていったこともある。彼の身体能力の発達の遅れは当時は凄まじく、さらに集団行動が苦手、衝動性が激しい、感覚過敏

            天職ってそんなたいそうなものじゃない

            毎年のことながら、年度末進行は下手すりゃ病む。仕事が多重債務状態になっているのを、感情を殺しながら一つずつ捌いていく。感情を殺しながら、これがポイントだ。「つらい」とか「休みたい」とか思ったら、その瞬間に転がり落ちるようにメンタルの調子が悪くなる。やるべきことは締切の管理と目の前のタスクのみ。感情を動かしても仕事は減りやしない。 こんなこと書くのも恥ずかしいのだが、この極限状態の忙しさのなかで私はたまに自分の仕事っぷりに酔ってしまう。このスピードで文章を読めて、このスピード