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16世紀ドイツ「黄金の歯を持つ少年」事件

1593年、神聖ローマ帝国のシレジア地方(現代のポーランド南西部)で、「黄金の歯を持つ7歳の少年」の存在が報告されました。

少年の名前はクリストフ・ミュラー。地元では奇跡として話題になり、多くの見物人が少年の家に押し寄せて騒動になっていました。この騒ぎを聞きつけたヘルムシュテットのユリウス大学医学部教授ヤコブ・ホルストは、これが本物であるかどうか調査に乗り出しました。

彼はミュラー少年の顎に実際に金の歯がしっかりとあることを確認。タッチストーン(暗い色の小さな石のタブレットを用いて金などの軟質金属を確認すること)での調査により、金は本物であることが確認されました。

当時は現在のような「金歯治療」が存在しない時代で、人工的に金が歯に固定されるなど誰しもが想像できなかったのです。

興奮したホルストは、ミュラー少年について145ページの論文「Deaureo dente maxillari pueri Silesii(シレジアから来た少年の黄金の歯)」を執筆しました。

この中でホルストは、黄金の歯が生えてきた理由を占星術が原因と結論づけました。

少年の誕生日は1585年12月22日に生まれで、この時は惑星の異常な整列により太陽の熱が増していた。そのため、少年の顎が影響を受けて金色になり、黄金の歯が生えてきたに違いないと指摘しました。

彼はまた、金の歯が生えてきたことは、「神聖ローマ帝国の新しい黄金時代の夜明け」を予見している、とさえ主張しています。

この論文は話題になりましたが、何人かの医師はホルストの意見を批判します。ヘルムシュテットに住むスコットランドの医師でダンカン・リデルは、「Tractatus de dente aureo pueri Silesiani」にて少年の黄金の歯は人工のものに違いないと主張しました。

リデルは分析の結果、金を摩耗させることで歯の上に金を取り付けることができる手法を発見し、少年の歯は人工的被せられた薄い金の層であると主張しました。

この主張が正しいかを証明するため、リデルは少年に詳細な分析を申し出ますが、少年はこの申し出を拒否。これ以上科学者が分析を進めることを認めず隠そうとしました。

ところが、ある時酒に酔った貴族がミュラー少年に歯を見せると詰めより、少年が拒否したところ、逆上した貴族が少年の頬にナイフを突き刺すという事件が発生。ミュラー少年は病院に運ばれ、医者は頬の傷を縫合したのですが、そのついでに金の歯も調査され、とうとうリデル医師の通り偽物であることが暴露されました

結局ミュラー少年は詐欺罪で刑務所にぶち込まれることに。しかし彼の歯に金の層をはめた男は逃げたと伝えられています。

結局、金の歯はただのペテンで金儲けのために詐欺師が仕組んだものだったのですが、「歯に金をかぶせる」という技術はこの事件によって初めて発明され、以降歯の治療に活用されることになったのでした。

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