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昭和経済史②戦時経済への道

昭和経済史の2回目です。前回は昭和元年から昭和5年、西暦で言うと1926年から1931年まで、日本が第一次世界大戦後の不況から金解禁できずにいる中で世界恐慌に巻き込まれ、経済的苦境から社会が次第に不穏な雰囲気に入っていくまでをまとめました。

今回は1932年から1937年、軍の主導権が強まり日本経済が戦時経済の側面を強くしていく時代をまとめていきます。


1.高橋是清の積極財政

満州事変以降、極端に社会変革を求める風潮が強まり、右翼と軍人によるテロが頻発するようになります。1932年2月の血盟団事件、5月の5.15事件、これにより犬養首相が暗殺され、岡田啓介海軍大将が挙国一致内閣を設立します。1933年にも未発に終わりますが神兵隊事件もあり、社会が騒然としていきました。当時はヨーロッパでファシズムが台頭し、デモクラシーからナショナリズムへと時代のトレンドが移り変わっていきました。

そのような騒然とした社会で経済の舵取りを担ったのが、1932年当時で77歳だった高橋是清です。

高橋是清の経済政策は、積極財政、公共投資を増やして産業の発展を促すというものです。金解禁を行いたいのであれば、財政緊縮ではなく、国際収支の赤字を出さないようにしながら国内の産業を発展させて行うべきだという思想を持っていました。


高橋財政の特色の1つ目に円安誘導があります。

円安になると日本の製品を安く輸出できることになります。例えば1ドル100円が円安になり1ドル150円になると、海外の輸入業者は日本製の50円の品物が2つから3つ買えるようになります。輸入代替産業が発達しやすくなり、不況からの脱出に役立つのです。当時は1931年には1ドル2円5銭だったのが、1932年末には5円にまで値下がりしています。

高橋財政の特色2つ目が低金利です。

金利が下がると、事業主は資金が借りやすくなり投資ができますし、配当率が高金利の時から据え置きだと、割安感が出て株が買われ株価が上がります。株価が上がると株主は多くの配当金を得て、増資に応じやすくなり、さらに企業は投資ができるというわけです。

高橋財政の特色3つ目が財政支出の拡張です。

井上大蔵大臣の時代の1929年には支出が14〜15億円だったのが、高橋是清の時代の1933年には22億円にまで拡大しています。
増えた財政のうち多くは軍事費になったわけですが、重要な支出として農村救済のための土木事業をおこす費用がありました。これに3年間で8億円ほどが使われ、農村に低金利の資金を貸付け、農村の借金を肩代わりして救済を図ったのです。これにより農村の金詰まりは解消へと向かっていきました。
地方に金が流れたことで地方の銀行にも資金が集まり、これまで都市の大金持ちが中心だった預金額も、地方の一般人の預金額が増加していきました。地方の自営業者やホワイトカラーの収入も増え、中小企業の経営者の金回りもよくなり、都市部と地方の所得格差が縮まっていきました。


高橋是清はこうして財政を膨らませ景気を刺激しますが、1935年以降は「完全雇用状態に近づいた」として、これ以上景気刺激策を行なってもインフレになるだけで意味がないと考えました。そうして財政規模抑制策へと向かいます。

一方で軍部は高橋是清が財政を膨らませたことをいいことに、軍事費のさらなる拡大を要求しますが、高橋はこれに必死に抵抗をしました。

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