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高齢者、親、自立

フランスでは75歳以上の4人に1人が1人暮らしをしている。女性の平均寿命は日本とフランスでそれぞれ87歳と86歳。自立性を失ったために、あるいは極度の加齢に伴う困難のために、介護を必要とする人が増えているのはフランスも変わりません。ですが、同じ高齢化社会でも日本とフランスでは状況が大きく異なります。

と言う記事を読んだ。

私の祖母も99歳で亡くなるまで1人暮らしをしており、彼女が独立した生活を送れるよう、家族全員が協力しましたとの事。

つまり高齢者が自立して一人暮らしを可能にするには、家族などの協力が必要だと言う事です。

毎週日曜日にメメの家に集まってランチを食べるのが習慣になっていました。家族親族皆で、できるかぎりのことをしようとしていたのです。

お金を払い他人任せで放って置いているわけでないのです。

それでも介護要因も福祉制度もバックアップは欠かせません。

フランスには2015年の65歳以上の生活費は1カ月2094ユーロ(約26万円)と高額ですが、2005年以来、高齢の低所得者を支援する連帯手当があります。

2002年にAPA(Allocation personnalisée d'autonomie、個人型自立手当)という制度が作られました。

60歳以上の独居高齢者がアパートの空き部屋を無料、あるいは、格安で学生(18歳〜30歳まで)に貸し出すサービスもあります。

アパートの所有者が生前に自分のアパートを売り、そこに住みながら購入者から月々“年金”のような形で受け取るというユニークな「viager(ビアジェ)」と呼ばれる制度もあります。

自立性を失うということは誰にでも起こりうること。その時に家族が全面的にサポートできればベストですが、家族であっても介護は物理的、精神的に大変な時がありますし、誰もがつねに頼れる家族がいるわけでもありません。多くの方面から援助を必要とします。

この様に、家族の全面の努力、政府、自治体の保護制度、介護制度、多方面から多くの人間が協力し合い、支え合って「高齢者介護」「高齢者社会」を維持していける訳です。

日本は多くの人間が、自らの手間を省こうとします。協力体制を作り上げていくのはなく、どうやったら手間暇かけずに乗り越えられるかを模索します。お金で解決しようとする動きが強まります。

北欧などのケースもそうですが、確かに国や自治体の制度の違いもありますが、世界中の「高齢化社会」問題を抱えた国々の人々は、どの様に協力体制を取れば良いのかを模索してます。

この姿勢は大きく隔たりがあります。

勿論日本には日本のやり方があるでしょう。日本文化の礎があると思いますが、人として「省く」思考じゃなく「協力」する思考で人生を見てみるのも必要と思います。

税金制度の問題でも同様です。

欧州は高額税金を国民、若者が払う事で「安心した高齢化社会」を維持してあげてる、若者たちが社会を作り上げている、支えあげていると言う「誇り」があります。当然自分たちも、その高齢者に10年後、20年後、30年後なるわけですし。

日本はこの「誇り」を失っているように見えます。

目の前の生活維持、物質的な欲求の追求ばかりを追いかけて、忙しい、忙しい、収入が低い、誰が得している、自分は損している、誰が悪い、何が悪いと文句ばかり頭の中にいれ、眉間にシワを寄せて日々イライラしながら生きている人たちが多いように見受けられます。

社会を作り上げている、高齢化社会を支えてあげている「自分たちが、それをしているんだ、」と言う「誇り」はあまり見聞きしません。この若者の意識の違いは、どうしてこうなった?のでしょうか。30年前まで日本もJAPAN AS NO.1で、誇りを胸に生きていた人たちが多かった。今より貧しかったけど「人生お金じゃない」と「ボロは着てても心は錦」でした。現在は逆です。経済的、物質的に豊かになり多くの国民は綺麗になり綺麗な家に住み、便利な暮らしをしています。しかし心は「錦」にはなっていません。

単純にだから日本はダメだと言いたわけじゃないのです。

日本には日本のやり方、日本文化の礎があります。

そこには良いも悪いも両方が混在しています。それが人間社会です。欧米にも周知の様に暗い影は沢山あります。比較論では無いのです。

日本社会は日本人が支え、作り上げなければいけないという事なのです。政治家を批判するのも良いです、親を面倒見なくても、自分の事最優先に生きたければ、それならそれで良いのですが、だからといって「他の問題は知らない」という無責任なことはできないという事です。他人を批判しても、制度の不備を指摘しても、結局誰が日本社会を支えるのか?という事です。

それは「貴方」です。現代の日本の若者が現代社会を支え、作り上げて行くしかないのです。

そこのところをよくよく考えて言動をとっていって貰いたいと願います。日本国民としての責任を取りたくないなら、日本を出て行くしかないでしょう。家族への責任を取りたくないなら、家族を捨てて放浪に出て行くしかないでしょう。そこに温存して文句や批判ばかりでは、責任をとった事にはなりません。社会で生きていく以上自由と責任は付き纏います。その矛盾性からは一生涯逃げることはできないのです。

自律をすると言う事は、自由と責任の両方を管理する事です。

世界は「自律社会」日本は「依存社会」

基盤が根底から違います。国民が望む方向性も違うと思います。

決して世界と比較し、日本の精度を批判することでは社会は良くなりません。

日本人による日本人の為の日本の社会を作り上げて行く事が、社会を担っている国民の責務となるのです。


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