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排除の国、日本

弱者に冷たいのではないか?マイノリティーにもう少し注意を払うべきじゃないか?働けない者たちは不要な社会なのか?などの記事をよく観る。

ほぼ100%、その内容は「それじゃいけない」「倫理的に見ておかしい」「世界とかけ離れている」などと改善を強く求める内容である。

自分を守るために社会的弱者である高齢者や生活保護、障害者などに怒りが向く。なぜなら自分たちの月収よりも高い年金で暮らしているお年寄りに嫉妬し、生活保護を憎むなどが起きているとのこと。

日本は古来から島国で村社会で依存関係の構造。何千年と変わっていない。

そこで求めらる事は何か?

生産性、全体主義。

弱者保護思考は叫ぶ、日本には危険な思考があると。

それは「生産性」というものだ。社会の役に立つ、お金を生み出す、それがないものはこの世界に存在してはいけないという考えだと叫ぶ。

国や村を守るために日本は、生産できない者、集団に属さない者達をずーっと排除して「和」の調和を守り切ってきた。

それは「愛する者達を守ため」

それは「みんなを守ため」

一方で現在コロナ禍で、経済困窮の時代へ突入している。且つ労働者数減、総人口減、資金減、ドンドン「量」の世界では日本は失うのみの未来が待っている。「量」を失いパワーを失う。では日本は何をすべきか?「質」の向上です。

つまり「生産性向上」です。

古来から国や村を守るために日本人は生産性向上を保ってきた。ましてやこれから、環境的にさらに生産性向上を図らねばならない時代へ突入する。

「生産性」重視の思考を危険だと警鐘を鳴らしても、残念ながら世間には響かないだろう。非常に悲しく厳しい結論なのだが、一層弱者は生き難い社会となるでしょう。そして言える事は、その「働かざる者食うべからず」「弱者排除」の国が、まさしく日本であり、日本文化の美なのです。

この悲しくも、厳しい現実があったから『JAPAN  AS ONE』を成し遂げたんです。戦後の復興を成し遂げたんです。その恩恵で今の日本が存在しています。

近代、明治、大正、昭和、、とどれだけのマイノリティーが排除されてきたでしょうか?周知の様に山ほど悲しい歴史が存在します。その人たちのおかげで現在我々は日本の国籍を持ち、平和に生き延びております。

まるで「砂の器」の病気の親子が村を追い出され点々と厳しい放浪を余儀なくされる、あのシーンが正に日本という国で、昔も今も、きっとこれからも繰り返していきます。

感情的に倫理的に「生産性の無い者は不要」だと言う思考は危険じゃ無いのか?悪では無いのか?と言う声があります。

そのように思う方にお伝えしたいのが、世界は「働かざる者、働ける者が飯を食わせてあげる」の世界へ向かっております。北欧などが顕著な例でしょう。若い世代が進んで高齢者などの為に高額な税金を国へ払っています。それらの高額の税金を払う現実に「私たち若者が国を支えている」と言う誇りを胸に、前向きに社会全体、生産できない人間達を一緒になって支えながら生きていこうとしています。

また、国が経済的未発達で国や政府が制度的に構築できずにいる国々でも、国民が個人意思で「労働できない者たち」を食べさせてあげようと言う思考で生きている方々は、世界では多く見られます。

さて我らの国日本。「働かざる者、食うべからず」の文化です。

本当に警鐘を鳴らして変わりますか?何千年とそうやって国を守ってきた国民が、ここにきて時代が違う、世界は違う、と変われるでしょうか?現代の若者は「なんで高齢者の為にオレ達が負担しなきゃいけないんだ」と叫んでいませんか?コロナで感染した病人を「チャンとしろよ」「迷惑かけるな」とバッシングしてませんか?世界では病人バッシングは少ないですよ。

じゃぁ何かい?日本はダメな国なのか?

違いますね。日本はそう言う国だと言う事です。弱者が住み難い国でも、沢山の良い点があります。日本にも「光と影」が存在し、一見優しそうな海外にも「光と影」は存在すると言う事です。

続く、、


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