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サイニングストア

スターバックスコーヒージャパンは6月27日(土)、東京・国立市に、手話が共通言語の「サイニングストア」を国内で初めてオープンします。聴覚に障がいがある人が聴者とともに働き、注文などのやりとりは手話を通じて行われます。

と言う記事を見ました。

こう言った取り組みが増えていくと社会は多様性を広げ、多くのメリットを生み出していくと思いますね。

このような障害者でも普通に労働できるお店は、実は海外ではケンタッキーやマクドナルドのファストフードのお店では昔から実施している店舗はありました。障害者の方々だけではありません。70歳位くらいのお年寄りの方々のスッタフが働くファスフード店もあります。10代の元気なスタッフだけのお店とは違い、遅さなどの違いは当然発生します。しかし客側は暖かな眼差しで、ミスも遅さも受け入れています。

こう言った多様性を日本は今後どれだけ増やしていけるか?

この辺が日本人が幸福の多様性を増やせるチャンスと思います。

自分たちとは「違う」世界の人間達と、どのように共存していくのか?

それは多くの知恵を要します。

過保護的な優しやだけでは尊厳を崩します。

日本の中にそう言った環境が殆どないため、多くの人が戸惑いを感じるのは必須でしょう。多様性のある社会とは、決して障害者問題だけでもなく、女性と共に働く、お年寄りと共に働く、地域の皆さんと共に協力する、意見の違う人たちと協力し合う、子供達と協力し合う、外国人と協力し合う、本当に様々なシチュエーションがあります。

日本の中に入れると、殆ど気付く事はないのですが、本当に日本は単一社会なんです。肌の色も、価値観も、話し方も、行動も、服装も、全て皆一緒なんです。周囲と一緒じゃなければ生きていけない社会なんです。そしてそのような単一的、画一的社会は多くのメリットを生み出します。子供の頃のマスゲームや足首を結び合って横一列でみんなと一緒に走り競争する競技のようなもんです。

「空気を読む」ど言う文化が、自ずと画一的社会を生み出していきます。その背景には言語や文化、地政学的背景、脳の仕組みなど様々な要因が絡み合って今の日本、日本人を作り上げています。その画一的社会のメリットがあるので、日本は短期間に発展し、成果を出した訳です。チームワーク、軍隊、のように統制が取れている社会はメリットを感じ易いのかもしれません。

今後日本がどの程度多様性を意識して社会を変えていけるのか?は全くわかりませんが、画一的に利益を生み出してきた経験値から、多様性を受け入れ歩みのスピードを切り替えるというのは、非常に大きな壁となるでしょう。まるで今日まで自動車に乗って進んでいたのに、明日から自転車に乗り換えていくようなもので「どこにメリットがあるんだよ」と嘆くのが目に見えています。

高度成長時代、寝ずに24時間働いて成功経験を持っている人間が、週休3日で中身を重視して効率性をあげる手段に切り替える事が困難なことと一緒です。昔は時代が違うとか、時代遅れだとか、いやいや大事なポイントだなどと、若年層と古き良き時代の世代が、言い争いをしながらお互いの正当性を主張しっておりますが、本来どちらも正解であり、どちらも結局必要な事なんです。しかし人間と言うものは、自己の成功経験から「善、正義」の意識を持ち周囲に主張します。そして過去の成功経験値は、今の若者にとって未知の経験値と化します。ですので未経験者達は幼稚な表現をすれば「昔の話はどうでもいいよ、時代は変わっている」とこうるさい経験者を切り捨てます。親子間、上司と部下、男女の間、様々な人間同士の間でよく観る光景です。経験者の話は未経験者には伝わりにくいのです。ですので「話が通じない」となります。

これと同様従来画一的社会で成功経験値を積み上げた日本が、未経験の多様性社会のメリット、必要性をどれだけ受けいられる事が可能か?と言うのは決して簡単な話ではありません。今貴方が親の言う事は理屈だけで意味がないとか、上司が言う事は時代錯誤で馬鹿馬鹿しいとか、あの政治家は物事わかっちゃいないとか、相手を批判しているならば、変化は難しいのです。批判すると言う事は「違い」を受け入れたくない、自分の方がベターだ、と思っているからです。ですので其処には変化はあり得ません。

経験者の話を未経験者が理解するには、知恵を要します。知恵がなければ理解できません。比較論は不要です。違う価値観を理解するには知識や知恵を要します。効率性は不要です。知恵や知識が揃っていないと理解できないのです。そして最も大事なのは、未経験者が本当の意味で心身共に「経験者の助言」を理解できるのは、未経験者が経験者となった時です。

例えば、親心、子知らず、親になって初めて親心が見えてきます。この時に未経験者が最も重要なのは、今言われている助言や意見を理解できないとしても、否定せずに自分の中に取り入れられるかどうかです。心の中では「意味わかんねぇし」と思っていても「でもまぁ経験者が言うのだからなぁ、なんかあるんだろうなぁ」と自分に言い聞かせる度量があるかどうか、この点の有無で未経験者が経験者となった時の大きな違いが生まれます。この事を「生意気で反抗的な未経験者」に教えよう、この度量を植え付けようと、昔は殴って「生意気なガキ」を黙らせた訳です。殴られたガキどもは大人になり、経験者となった時初めて殴られた意味が分かります。未経験者は経験者の意見を理解できないのです。反発しり、否定し始めるのは普通のことなのです。そして「違い」を受け止める度量を植え付けられた人間と、その度量を植え付けてこなかった人間では、大人になって大きな大きな違いが生じます。

日本社会はこの度量を今まで植え付けてこなかったのです。

子供達の「生きる力」「悩み力」「受け入れる度量」それらと同様に日本社会も、悩んで悩んで成長してきていれば、今の日本社会は違ったでしょう。でも日本社会は常に画一的、単一的な答えを選んで今日まで来ています。

ミクロで見れば、多様性の重要さを理解している個人はいるでしょうが、マクロで見れば画一的社会の日本。

今回のスタバのサイニングストアは、ほんの小さな一歩ですが、こう言った取り組みが沢山のお店や機関に広がっていく事を個人的には望みます。それが日本人の幸福の多様性を生み出して、結果多くの国民がそれぞれの幸福を感じられる社会となる気がします。


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