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亡き王女(猫)のための当事者研究

 幸運にも、この二〇年ほど、近親者の死に立ち会ったことがない。二〇年ほど前に祖父母をほぼ同時に亡くしたが、入院期間も長かったこともあり、悲しくはあったが、すでに諦めの方が先立っていた。

 フィクションで泣いた経験は山ほどあるが、現実で泣いた経験はここしばらくなかった。私は並外れて冷淡な人間なのか、誰かの死で泣くということも滅多にない。みんな泣いているのになんで自分は泣けないんだろうと不思議に思うことも良くあったが、まあかつては患者からも斎藤ロボとかいう渾名をちょうだいしたこともあるくらいだし、若い頃にはアスペの異名をほしいままにしていたことでもあるし、しかたがないと思っていた。でも、いつか思いがけない何かでスイッチが入って「コレガ…心? コレガ愛…?」みたいな感じで機械油の涙を流す的な展開はあるかも、とちょっと期待するところはあった。

 3月某日、12年間一緒に暮らした愛猫チャンギ(雌のシンガプーラ)が旅立った。ずっと家猫だったので家から出るのはさぞ怖かったろうと思うのだが、たった一人で去って行った。突然の別れのようでもあったけれど、思いかえせば2年前から、彼女はずっと危うい綱渡りをしていたのだった。

 2019年の1月某日、旅行から帰宅してみると、いつもは迎えに駆けてくる彼女の姿がみえない。寝室に入ってみると、定位置のベッドの上でじっとうずくまっている。長期の不在で不機嫌なのかな、などとのんきなことを考えながら自動給餌器に目をやってぎょっとした。餌があふれかえっている。ほとんど食べていないのだ。あわてて彼女を抱き上げて、そのあまりの軽さに驚いた。食欲が無いのかと思い彼女の好きな缶詰を開けてみたが、申しわけ程度に舐めるだけだ。猫を飼っているくせに泊まりがけの旅行に行くなど鬼畜の所業、という非難は甘んじて受けよう。彼女の寛容さと頑健さに甘えて、私たちが何度か留守を任せてきたのは事実だ。その成功体験もあって、すっかり油断していたのだ。

 翌日、かかりつけの動物病院に連れて行くと、腎機能の指標であるクレアチニンの値が8を越えており、ほぼ腎不全とのことで即日入院となった。人間の腎不全なら透析になるところだが、猫の場合はある程度まで皮下点滴で維持療法ができる。人間用のソルラクトなどがそのまま使えるのも医師としてはありがたい。入院治療のおかげでチャンギのデータは徐々に改善し、ほぼ正常値にまで回復した。極端な人見知りなので心配していたが、1週間ほどで看護師さんによじ登るくらい馴れてきた。このときは10日間ほどで退院になり、もとの平和な日常がもどってきた。

 しかし、その後の2年間は、今にして思えばほとんど「余生」なのだった。妻が定期的に——末期にはほぼ毎日のように——皮下点滴を続けたおかげで、彼女の腎機能は補われていた。私の主たる分担は毎朝腎臓治療薬のセミントラ経口液を妻が服用させるとき、嫌がるチャンギの身体を抱きすくめることだった。口に注入された液剤を吐き出そうと、顎を“アグアグ”する姿が可愛いので——猫は頬筋を使ってペッと吐き出すことが出来ない——その作業を密かに楽しんでいたことは秘密だ。

 実は彼女には心筋症の持病もあって、1歳時の健診でそれを指摘され、あまり長生きはできないだろうとほのめかされてはいた。その時は暗澹たる気分になったが、その後の彼女は高い身体能力を発揮して家中を飛び回り、われわれの不安を慰撫してくれていた。しかしエコーに映る彼女の心臓は依然として異様な形状であり、その診断が誤診などではない現実を示していた。

 つまりチャンギは、この2年間、腎不全と心筋症という爆弾を抱えながら、私たちと生活をともにしていたことになる。

 悪い徴候は2020年の年末からあった。クレアチニンの値がじわじわと上昇し始めたのだ。2→3→4と毎月のように増悪していた値が、3月の検査でいきなり8になっていた。2年前の入院時と同じ値である。ゆっくりと悪化したせいか表面上は元気で餌もよく食べ、あまり普段と変わりなく見えた。しかし猫は、病気があってもぎりぎりまで元気そうに振る舞う生き物である。私たちへの気遣いと思いたいところだが、実際には弱味を見せたら死に直結する野性の知恵、つまりは本能的なものだろう。

 今回も即日入院となり、持続点滴と強心剤による治療が開始された。妻は連日見舞いに通い、くわしく容態を教えてくれた。エリザベスカラーをつけているため動きづらそうにしているがまずまず元気なこと、顔を見ればしきりに鳴いて帰りたいと訴えているかのようだったこと、餌はなんとか食べられているし便通もあったこと。私も会いに行きたかったが職場が遠方のため面会時間に合わせられず、通勤の途中で病院に立寄れる妻に任せきりだった。このことはいちばん悔やまれる。会議や打ち合わせを断ってでも会いに行くべきだった。猫のことをすべてに優先させるべきだった。この時点では愚かにも、また会えることを確信していたが、一緒に遊んだ検査日の朝が、今生の別れになってしまった。

 入院4日目の検査ではクレアチニンの値が7で、思ったほど下がっていなかった。担当医からの説明によれば、もうこの時点で腎機能も心機能も限界を超えていたようだ。私たちは近いお別れを覚悟して、家で看取ることにした。5日目、妻が退院手続きをして帰宅。ケージの扉を開くと、いつもは一目散に飛び出していくチャンギがうずくまったまま動かない。ぜいぜいと肩で大きな息をしている。あわてて病院に引き返すと、肺水腫の可能性があるとのことで、すぐ再入院、酸素室を利用することになった。もう心臓も限界だった。肺から還流する血液を送り出す力が衰弱し、肺がうっ血していたのである。

 もうこれ以上は点滴もできず、強心剤も使えない。酸素を補給しながら万に一つの回復可能性に賭けることになった。幸か不幸かチャンギは高齢ではあったが、筋肉質で体力もあった。そのためかすぐには死ねなかった。苦しい呼吸の中で約24時間を生き延びてくれた。私たちにはさいわいだったが彼女にはつらいことを強いてしまったかもしれない。

 再入院の翌日のお昼過ぎ、動物病院から電話があった。かなり危険な状態であるとのこと。私は遠方の勤務先にいてすぐには動けない。同じく連絡を受けた妻が、仕事を早退して駆けつけてくれた。はじめ早退をためらっていた妻に、「家族が危篤なのになんで早退しないんですか!」と背中を押してくれたスタッフに感謝したい。おかげで臨終に間に合った。

 病院に着いた頃合いに妻のFaceTimeを鳴らすと、酸素室の中のチャンギが見えた。いつも見慣れたまるい後頭部しか見えないが、呼びかけるとしきりに立ち上がろうとする。私の声に反応したと思いたかったが、おそらくは起座呼吸という症状だろう。肺水腫が起きている時は、上体を起こした方がいくぶん呼吸が楽になるのだ。それでも懸命に生きようとしている彼女の後ろ姿を見て、これは帰宅後に看取れるかもと一縷の望みをかけた。むろん人間のエゴでしかないが、そう祈らずにはいられなかった。妻は自宅に連れ帰るため、レンタルの酸素ケージを手配していた。

 それから2時間後、FaceTimeに妻から着信があった。画面に映っていたのは変わり果てたとしか言いようのないチャンギの顔だった。眼をかっと見開き、口を大きく開け、舌をだらりと垂らして、ゆっくりと喘ぐように呼吸している。人間であれば下顎呼吸というのだろう。妻が酸素室に差し入れた腕に抱かれて、チャンギは臨終を迎えようとしていた。私はまだ職場にいたが、「今までありがとう、さようなら」という控え目な別れの言葉は、彼女の耳に届いただろうか。通話を終えて数分後、妻からショートメッセージが来た。「腕の中でを息を引き取りました 最後まで綺麗でかわいい子」とあった。スタッフに断って5分間だけトイレの個室にこもり、機械油ではない涙をたくさん流した。別に「男が人前で泣いてはいけない」とか考えたわけではない。彼女を悼む瞬間だけは、どうしても独りでいたかったのだ。

 仕事が終了しだい、車を飛ばして駆けつけるつもりだったが、もはや急ぐ理由がなくなった。診療を終えて夕食の材料を買って21時近くに帰宅した。いつもチャンギが座っていた暖炉の前に、白い段ボール箱が置いてある。チャンギの棺だ。箱の中には保冷剤とタオルが敷いてあり、文字通り、眠るようにチャンギが横たわっていた。棺を開いた瞬間に喉から変な音が出て嘔吐するようにひとしきり泣いた。病院のスタッフが顔をきれいに清拭して、2羽の折り鶴を添えてくれていた。体はとうに硬く冷たくなっていたが、衰弱のあとはほとんどなく、毛並みは生前と変わらない滑らかな手触りだった。嗚咽の発作がおさまってから最後の猫吸引をさせてもらった。まだ死臭もなく、いつもの優しい体臭だった。

 私には一つのジンクスがある。それは「最悪のことはいつも最高のタイミングで起きる」というものだ。一例を挙げるなら、2017年の入院である。深部静脈血栓症で、やや大げさに言えば生命の危険があったのだが、倒れたのが新宿のバスターミナルだったので周囲の人がすぐに救急車を呼んでくれ、適切な治療を受けて生還できた。8月はじめで大学も夏休みであり、業務上もそれほど甚大な穴は空けずに済んだ。「最高のタイミング」というのはそういう意味である。

 チャンギの死について言えば、それが1−2年以内に起きることははっきりしていた。プレペットロスという言葉があるそうだが、無心に遊ぶ目の前の元気な猫と、短い余命がどうしても結びつけられず、悲しい予感に妻は苦悩し、私は能天気に否認していた。だからその日は、あまりにも突然のように思われた。チャンギは3月のとある週末、息子のひさびさの帰省に合わせたかのように旅立った。その週末はすべての予定をキャンセルして、家族3人でチャンギの旅立ちを悼む時間を持つことができた。学会も講演会も予定されていない週末はそこしかなかった。新学期が始まっていたらもっと身動きは取れなかっただろう。チャンギが来てから、こんな巡り合わせがよく起こった。彼女は特別な猫で、幸運の猫でもあった。少なくとも私たちにとっては。

 一夜明けた土曜日の午後は、12年間で撮りためた4000枚近いチャンギの写真をテレビ画面に映し出し、3人で眺めては思い出を語りあった。二晩を彼女の棺とともに過ごしながら、夜中に聞き覚えのある鈴の音が鳴ったりしないか、少し本気で期待したのだが何も起こらなかった。お別れの朝に、庭に咲いた花を摘んで棺に入れた。記念樹に植えたマグノリアが今年は特に多くの花をつけており、ワインレッドの花弁——12年間付けていた首輪と同色——はことのほかチャンギのセピアアグーティ(淡いセピア色)の体毛によく似合っていた。

 チャンギの体を花で埋めてから、保冷剤を外して窓辺に棺を置いた。彼女は多くの猫がそうするように、安全な空間を背にして窓から外を眺めるのが好きだった。ペット火葬サービスが到着する直前、なんの前触れもなしに妻がピアノを弾きはじめた。ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。チャンギの出棺にこの上なくふさわしい演奏に、それまでは笑顔も見せていた息子(30歳)が首を絞められるような声を出して泣き始めた。私もつられて何度目かの嗚咽発作が出そうになったがぎりぎりでこらえた。3人とも泣いていたら火葬の業者が困ってしまう。

 移動火葬車が玄関先に到着したので、3人でお別れの言葉をかけてから、たくさんの花や玩具とともに荼毘に付した。1時間後に骨上げをしたが、あまりに華奢な骨格にあらためて驚いた。この小さな頭蓋骨から、私たちの12年間の幸福と潤いがもたらされたと考えるなら、猫という存在の宇宙に思いを馳せずにはいられない。彼女のもろく小さな骨は小ぶりの中国茶の壺に全部おさまり、今は彼女の好きだった暖炉の上にしつらえた「祭壇」に、アクリルケースにおさめて安置してある。

 思えば猫に狂った12年間だった。猫狂いの妄想は枚挙に暇がない。チャンギは喋れる。チャンギは気配りをする。チャンギは時々私たちを見下している。チャンギを“吸引”しなければ文章が書けない。息子の口癖は「チャンギが一番可愛い」だし、妻は私の知らぬ間にチャンギの唄を作詞作曲していた。かく言う私に至っては、タイトルに「猫」を冠した著書を二冊出し、一冊の表紙にはチャンギの写真をあしらった。彼女と暮らした日々の喜びについては、それらの本に引くほど詳しく記したので繰り返さない。

 狂気のきわめつけは、私たちの経験したいくつかの幸運を、すべて彼女がもたらしてくれたと確信していることだ。いろいろ尽力してくれた人間様には申し訳ないのだが、チャンギは人との縁を与えてくれる超越的存在だったのである。だから、これからはチャンギ教を信仰すると口走りはじめた妻を止める気にもならない。おりしも3回連続で不採択だった科研費が、4回目にしてやっと採択された。間違いなく彼女の置き土産である。小さな猫が私たちに幸せな狂気をくれた。ありがとう、チャンギ。


 私はこの文章を、ペットロスの当事者研究というつもりで書いている。以下にいくつか、気付いたことの断片を補足しておこう。

・猫を失っても人生が変わるわけではない。しばらくSNSなどの活動は控えたが、社会活動は平常運転である。24時間悲嘆反応が続かないのは、やはり私が冷淡な人間だからかもしれない。しかし自分でも予想できない瞬間に嗚咽発作がまだ起きるのは困る。チャンギが好きだった場所、アイロン台やロールスクリーンの裏、ムートンの敷物などはフラッシュバックを誘発するので模様替えをしてもらった。

・彼女の写真を撮り過ぎた。スマホの写真には彼女の写真が圧倒的な比重を占めているので、どうしても眼に入ってしまう。問題はチャンギの待ち受け画面で、見るたびに泣いていては大人として問題なので変更すべきかどうか、かなり真剣に悩んでいる。一点、これは今も後悔しているが、動画をもっと撮っておくべきだった。動画を見ていると、一瞬彼女の不在を忘れられる瞬間があったりする。

・プレペットロスの徴候として「未来の追憶」がある。最近の私は、布団にもぐり込んだチャンギを撫でながら、「いつかこの幸福な時間をかけがえのない記憶として思い出す日が来るのだろう」と予測することが習慣になっていた。喪失感の予行演習、ペットロスのワクチンのつもりだったのかもしれない。それほど役には立たなかったが。

・私たちは猫の番組やSNSの猫動画などが大好きだったが、今やそうした関心を急速に失いつつある。悲しみや羨望のためばかりとは思えない。良く猫好きは博愛的と言われる。よその猫も自分の猫もひとしく愛でることが出来る、というほどの意味だ。今度のことで、その理由が良くわかった。他人の猫はすべて自分の猫の「隠喩」であり「アバター」なのである。だから中心が空白になれば、猫への関心そのものが消退してしまうのだろう。

・犬の可愛さはディズニー的で、猫の可愛さはサンリオ的だ。表情が豊かで共感しやすいディズニーキャラに比べ、サンリオキャラは一様に表情に乏しく、通常の意味での共感はむずかしい。犬の気持ちは分かる気がするが、猫の気持ちはわからない。この“ディスコミュニケーションの手触り”こそが、猫の可愛さの本質にある。私たちはわかり合えないからこそ、無限に寄り添うことができるのだ。

・喪失感は分かち合えるが、そのぶん長引きもする。チャンギは家族では妻だけに自分から体を寄せていった。寝床では妻の首元に、ソファでは妻の胸元に香箱座りをするのが常だった。それだけに、妻の悲嘆は私以上に大きく、長く続くだろう。これからの私たちは、それぞれが胸に「猫型の穴」を抱えて生きることになる。もっとも、私の喪失感は、ひとりチャンギの不在にとどまるものではない。私は彼女と妻との親密な関係性を傍らで眺める喜びをも失ったのである。



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