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開花するのに才能はいらない理由

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人それぞれに、得意なことや好きな事があり、時には生まれながらにして才能に恵まれることもあります。

容姿に恵まれた人もいれば、運動神経が良かったり、絵の才能があったり、誰よりも計算が早くできるのも才能の一つ。

でもそれは、ただ持っているだけでは輝かないし、下手をすると失ってしまうこともあるのだと気付かされたのでした。

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昨日は、こどもみらい塾でのフラワークラスでした。

小学6年生のNちゃんは、毎回レッスンが終わるとスケッチブックを見せてくれる。以前から色使いや構図の作り方が上手い子だなと思っていたけれど、なるほど絵の才能があったのだと関心した。

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以前から絵が好きで、広告の裏などに落書き程度に描いていたそう。それをスマホの中に沢山画像で残していて、全部見せてくれた。1年生から6年生になるまでに書き溜めてきたものを見て、その進化を目の当たりにしました。

彼女は才能という言葉を嫌い、コツコツとひとりで書き上げて来ただけだと言う。youtubeで書き方を見て学ぶのだそう。「好きじゃなかったらここまで続かないし、自己満足だから楽しい」と、涼しい顔で言う。

特筆すべきは、全てNちゃんオリジナルのキャラクターであり、模写ではないということ。真っ新なノートに、自分の空想のキャラクターを浮かび上がらせることを誰が教えたわけではない。

しかし、才能とは好きで続けているうちに、なんとなく花ひらくものではないと言うのが私の考えで、Nちゃんの場合にはどんなストーリーがあるのか興味が湧いた。

話を聞いているうちに、感性の鋭さと成熟したマインドを持っていることに驚いてしまった。そして、彼女のお母さんが素晴らしい!

彼女の絵を見たお母さんは、「ふん、まだまだね」と、軽くいなすのだそうです。褒めて育てるということに私は懐疑的だったので、あらためて確信しましたね。

Nちゃんのお母さんは、ただ現状を冷静に、ありのままに見ている。そして、自分も絵を描いていたそうで、そのレベルにはまだ及ばないが、伸びしろがあるということを示唆している。その証拠に、今月お誕生日のNちゃんは、欲しかった色のマーカーを買ってもらえるのだと、とても喜んでいました。彼女の意志を尊重し、援助の手を差し伸べているのです。

そして、もっともNちゃんが偉いところは、自分でスイッチを入れたこと。今までは、広告の裏に描いていたのが、去年の11月にスケッチブックを買ってもらい、本格的に書き始めたのだそう。

誰に言われたわけでもなく、自分で「やる」と決めて、お母さんにスケッチブックを買って欲しいとオファーする、そのタイミングを計ったことも偉いと思った。

そしてもう一つ。絵の神様は才能をひけらかす欲望が大嫌いなのだ。

Nちゃんは、絵の注文は一切受け付けないのだと言っていた。それは、自分のスケッチブック以外のところでは描かない、公表しないということを意味します。それでも、お友達は「見せて見せて」と寄ってくるし、私も毎回彼女のスケッチブックを見るのが楽しみになっている。

「見て見て」ではなく、「見せて見せて」と言われる作品を描き続ける限り、絵の神様はその才能を取り上げたりはしないでしょう。

勝手にNちゃんの将来を思い描いてしまう私ですが、これこそが理想の人生です。好きなことを続けていたら、自然と周りをハッピーにしていたという。

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