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人生空っぽのバカンス

はな

パリの花の学校で、口を酸っぱく「自分の作品を作りなさい」と言われ続けた。どうしたらその境地に達するのかと先生に尋ねたら、「哲学を持つこと」とおっしゃる。

フィロソフィー大国フランス万歳!それは、芸術、学問、ビジネス、ファッション、家事…全てに貫かれているのでした。

そのおかげで、日常的に物事を深掘りする習慣が身に付き、こうして備忘録としてブログに残すことをしています。

はじめは集客の為に始めたはずが、哲学思考がそれを「いやらしい」と判断した為、表立って販売トークはしなくなりました。花は売ろうと思って売れるものではないしね。

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【空っぽのバカンス】

バカンスとは、英語で言うところの空っぽ vacant 。フランス語ではvacance。今では長い休暇のことをそう呼ぶけれど、元はブルジョア階級の人たちのもので、何もしない空っぽな時間を過ごすことからvacancesと言ったそうです。

ですから、予定を沢山詰め込んで挙句に疲れて家路につくのは、本来のバカンスではありません。バカンスとは、空っぽで意味を持たないものなのです。

ジェラート

さて、先日、酔っ払ってもいないのに、ふざけていたら家の柱にゴンっと、足を強くぶつけてしまった。私の予測では、骨にヒビが入った模様。

またしても・・・昨年末に左足の指を骨折して全治2ヶ月の憂き目にあい、完治してから半年しか経っていないと言うのに。

「バカでつね〜」と、夫と大笑いしたわ。もう、笑うしかない。

左の小指の骨にちょっとヒビが入ったくらいで、野鳥の森へ散歩にも行けなくなってしまったなんて、ちょっと悲しいけど。。

こんな一瞬の、ほんの小さなしくじりが、私の行動範囲を狭くしてしまうなんて、人間とはなんて情けない生き物なのだろうか。

今、我が家のテラスには沢山の野鳥が飛んでいる。彼らはなんと自由なことか。器用に枝にぶつからずにスイスイ飛んでいる。人間を嘲笑う様に唄い、自由で軽快に。

料理

傷は傷でも所有物を傷つけられた方がいた。

昨日一緒にバーベキューしていた仲間の中に、車を傷つけられたご夫婦がいた。ツルヤ(軽井沢でメジャーなスーパー)の駐車場に止めて買い物をしていたら、車のボディにコインか何かで激しく傷を付けられたのだそう。

品川ナンバーの外車だったから?偉そうな止め方でもしていたのだろうか?コロナの影響はこんな些細なことにも影を落とす。嫌な世の中だなあ。

こうした行為を行う人は、心に小さな傷があって寛大ではいられない。狭い世界に生きているのだろう。まるで、足の小指に小さな傷ができて、大らかに行動できない今の私の様だ。

完全に、傷にコントロールされてしまっている。

人は誰でも、人生の途中で様々な傷を付けて生きているのだろう。その傷をかばう為に、または古傷がうずき、自分や他人を傷つけてしまう事がある。そして、その傷は治るどころか、どんどん広がって行く。

サザエ


そもそも、生きる事に意味なんてない、空っぽバカンスなのだと気づかないと、焦ってその意味を探したり、無理やり意味付けをするから沢山の傷を負ってしまうのだ。

癒えない傷を負いながら生きていくのは苦しい。だから、生きる意味を問わずに、明日は明日の風が吹くと、そのすっからかんの人生を面白がれば良い。

足をぶつけた時は、たいそう痛かったけれど、すぐに笑えたことは事故防衛本能なのだろう。笑いこそ百薬の長だとその時気づいた。

「私はアホか!」とか、「こいつのせいで足をぶつけた!」とか、「病院行くのめんどくさいんだけど〜」とか、ぐちゃぐちゃと傷をいじると心に跡が残ってしまう。生き方を限定し、自由の足枷になる傷が。

軽井沢で一緒に楽しい時を過ごせる仲間たちは、生き方上手なのだと思う。抜群のユーモアのセンスで、いつも和かだ。そういう人たちと一緒に時を過ごすのは心地良いし、私の傷もすぐに癒えてしまいそうだ。

というわけで、しばらく軽井沢暮らしを満喫することにしました。週末はレッスンがあるから、それまでには帰ろうかな。

明日は明日の風が吹く〜🎶 わはははは〜


https://tamaki-flower.com/

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