
個人主義の先に花は咲く

ツツジが咲き、新緑が美しい軽井沢の春。
連休後半をこちらで過ごし、明日東京へ帰るところです。
普段目にしない小さな花々に出会い、散策の楽しい季節です。

この美しい自然の中にいると、人間はより人間的になって行くんですね。
人工的なものに囲まれている事が、いかに人間らしい感性を鈍らせてしまうことか。ストレスは知らぬ間に人間の心と体を蝕んでいきます。

自然の中で人間らしさを取り戻しながら、夏目漱石の「私の個人主義」という、彼の講演会の内容をまとめた本を読んでいます。
漱石が確立した個人主義とはどんなものなのか、そして、そこに至るまでの苦悩が書き記されています。
ロンドンに留学した漱石は、英文学を学ぶことに疑問を持ち始めます。そして、文学の本質を見失っていました。
ロンドン中を歩き回っても、その突破口が見つからず、毎日暗い下宿部屋で泣いて過ごした日々があったそうです。
私も同じ様な悩みを抱えていた時期があります。いや、今でもずっと考え続けています。
フランスでフラワーデザインを学んだけれど、それは盲目的に西洋文化を賛美するだけのことで、偽の豊かさをでっち上げているだけなのではないか?と。
本当に届けたい人に届いているのだろうか?私は一体何をしたいのだ?
毎日が空虚で辛かった。

漱石も、学校の教員をしていた時、英語を教えることが苦痛だったと語っています。自分のやっていることに意義を見出せずに悩み続けていたそうです。
漱石が辿り着いた境地が、この本のタイトル「個人主義」です。
他人本位はつまらない。自分本位でなければならないと悟り、答え探しを外に求めることをやめました。
自分の人生の答えは、根本的に自力で作り上げるしかない。そう決意した時に、全ての不安が消えたそうです。
文学とは何なのか?その答えを自分が作ってしまえばいいと、そうして「吾輩は猫である」を書き上げたそうです。
外発的な変化に影響を受けず、内発的であること。それが自然のあり方だと彼は語っています。

真面目に生きていたら、誰もが打ち当たるのではないでしょうか。外側の世界が決めた評価基準と内発的なものがどうしても折り合わないという事態。
環境は大きく作用するけれど、自分が何に根ざしているのか、そこに尽きる。
人間はなぜ花を飾るのでしょうか。人に花を贈るのはなぜなのか。美しさとは何なのか・・・その問いを持ち続ける事が、私が花を続ける意義なのだと思い至ったのでした。
今月の文学と一花一葉は夏目漱石「吾輩は猫である」をお届けします。
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